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2018/07/19
なぜフランス人はイギリス人のことを「ローストビーフ」と呼ぶのかを知ろうとして書き始めたのですが、どんどん脱線しております。

シリーズ記事 【嫌いな国の人を何に喩えるか目次へ
その9


前回の記事「イギリスとフランスが犬猿の仲だった長い歴史 」を書くために調べていたら、少し気になった書籍に出会いました。

スティーヴン・クラークStephen Clarke) というイギリス人ライターが書いた本です。フランス語の題名は『1000 ans de mésentente cordiale』。

英仏の国旗があって、「千年(1000 ans)」にわたる「不調和(mésentente)」だから、英仏間にあった千年の不仲について書いてあるのだろうと想像できます。でも、「不調和」には文字を大きくした形容詞「CORDIALE」がついている。

cordialとは、真心がこもった、誠実な、という意味があるのですが、ここでは反語的に使っていて、「心の底からの」不協和音という意味なのでしょうか?

彼は英語で書いているので、オリジナルの英語版でタイトルがなんとなっているのか調べてみました。左がフランス語バージョンで、右が英語バージョン。


1000 ans de mésentente cordiale

1000 Years of Annoying the French

仏語バージョンの方では、下に「ローストビーフから見た英仏の歴史」と説明がついています。

英語バージョンのタイトルは、俺たちイギリス人がフランス人をイラつかせた千年の歴史、のように私は受け取りましたが、どうなのでしょう?


イギリス人にとって、Merde(糞)はフランスの象徴

スティーヴン・クラークというライターを知らなかったのですが、フランスやフランス人について、英語と仏語訳でたくさんの本を出しているのでした。

英語版の著書の題名を見ると、そんなことをフランス人に言ってしまって大丈夫なの? と思ってしまうので気になりました。

Merde(糞)」というフランス語の単語がお気に召しているようで、それを何冊もの英語版のタイトルで使っているのです。

Stephen Clarkeの著書を検索

「結構毛だらけ猫灰だらけ、お尻の周りはクソだらけ」なんていう、有名な啖呵売(タンカバイ)の口上があったけ...。



スティーヴン・クラークが特別に「メルド」という単語を取り上げたわけではなくて、イギリスではフランスらしさを表すものとして、バゲットやベレー帽の他に、このメルドもあるようなのでした。

ともかく、それだけ彼は糞まみれが好きなのに、フランス語の翻訳本では、「メルド」を使ったタイトルの本は一度も出していないですね。

フランス人読者に対しては、メルド=フランスとするのは憚られたからでしょうか? フランス人もよく「メルド」という下品な言葉を使いますが(悔しいときに「くそ~!」と言ったりする)、それがフランスの姿とはしていないわけですから。


イギリス人の忖度そんたく

かなり前のことですが、フランスで友人たちとおしゃべりしていたとき、「フランスの、ここが気に入らない」と話したら、「フランスが気に入らないなら、日本に帰れば良いじゃない」と言われて、少なからずショックを受けたことがありました。考えてみれば当然のことを言われたわけです。

でも、日本には「外国人による日本語弁論大会」というのがあって、外国人たちが日本人のことをこき下ろしていたのです。それで、日本人は外国人から批判されるのが好きなのか、外からの批判を素直に受け止めて成長する国民なのだろうと思っていました。

でも、日本も変わったのですね。

それで書いたのが、この記事:
ちょっと怖いな... 最近の日本礼賛ブーム 2015/03/01

日本では、外国人に日本のことを褒めさせるのが流行っていると感じた後、日本人女性と結婚しているイギリス人に出会いました。東京で開かれた会合に参加した後に夕食をして少し話したのですが、何となく彼は変だと思ったのです。

日本語が流暢なそのイギリス人は、口癖のように「日本は素晴らしいです!」と繰り返したのです。その場で私たちが話していることとは全く関係ないし、誰も彼が「素晴らしい」と褒めていることには耳もかしていなかったのに、彼は30分おきくらいにその言葉を繰り返していました。

そう言って日本人をおだて上げていないと、彼は日本では仕事できないからなのだろうと思って、気の毒になりました。


それで、フランスとフランス人についてしか書いていないライターのスティーヴン・クラークは、どういう風に書いているのか気になったのです。

最近のフランス人たちは、昔に比べるとフランスに対する自画自賛の考え方が薄れてきたと感じます。経済は低迷しているし、しばらく優秀な政治家も出てきていないので、このままではフランスは悪くなるばかりだ、と考えるフランスの友人が多くなってきました。

とすると、同じような問題を抱えた日本では、日本礼賛ブームになったのとは逆に、フランスでは外国人に貶されると痛快に感じるようになったのかもしれない。

スティーヴン・クラークが、フランスのことを良く言っているのか、悪く言っているのかを知るには、彼の著書を1冊でも買って読んでみれば良いのですが、イギリス人がフランスのことをどう言っているのかに全く興味がないので、私は読む気にはならない。

それで、インターネットでどう語られているのかを少し見てみました。


フランス語の翻訳版のタイトルが、原作と違いすぎる

スティーヴン・クラークのフランス語版には翻訳者の名前があるので、彼はフランス語では書いていないもよう。翻訳者のアドバイスなのか、彼自身が気をつかっているのか、英語のタイトルとフランス語のタイトルが余りにも違うのが興味深い。

フランス人を怒らせないように気を使っているのではないでしょうか?

フランス語版
Français, je vous haime
英語版

Talk to the Snail: Ten Commandments for Understanding the French

英語のタイトルでは、イギリス人がフランス人をバカにするときの呼び名の「蛙野郎」と出してきているので、フランス人をストレートに貶しているのだろうな、と想像します。

でも、フランス語のタイトルは全く違います。

「フランス人たち」と呼びかけて、そのあとで「私はあなた方を...」と続いています。『Français, je vous haime』をちらりと見たとき、動詞らしき「haimer」は存在しないので、「haïr(憎む)」をもじったのだろうと思って、「あなた方を憎んでいます」なのかと思ってしまいました。

でも、たぶん「aimer(愛する)」の頭に「h」を付けてみたのではないでしょうかね? フランス人はHを発音しないわけですから、耳で聞けば同じになる。だとすると、「あなた方を愛しています」になる。フランス語版の本の紹介でも、イギリス人はフランス人を馬鹿にするけれど、彼らのことを本当に好きなのだ、と書いてありました。


デビュー作のタイトルも...

スティーヴン・クラークが作家としてでデビューしたのは、2005年に自費出版して、イギリスでベストセラーになった下の作品。ノンフィクションかと思ったら、彼がパリにやって来たときの体験をもとにした小説なのだそう。

彼の作品としては唯一、これは日本語訳が出版されていました。3か国語のタイトルを並べてみますが、全く違うのですよね。

日本語版
英語版
仏語版

英語のタイトルをそのまま訳せば、「糞まみれの1年」のような感じでしょう? 日本語の題名は、英語で使っている「MERDE(糞)」を活かして、それがフランスを表すことを出す苦労をしていて、タイトルに「くそったれ」と付けていますね。

糞という単語を使ったのは、パリには犬の糞がたくさんあると作品の中でも書いているそうなので、それから来ているのかもしれない。左足で踏むと縁起が良いなんて言われていたのですけど、最近はパリ市も努力して、犬の糞はかなり見かけなくなりましたけど。

フランス語の題名の方は、糞(メルド)を削除してしまって、イギリス国歌の「God Save the Queen」 をもじって『God save la France』にしている。でも、犬が道路を歩いて、イギリス国旗を付けた運動靴がそれを踏みつけようとしている絵に糞のイメージは残したようです。


読んだフランス人のコメントを読むと、面白いことが書いてあると思ったのに、ちっとも笑わせられなかった、などというのもありました。フランスを痛快に貶して笑わせる、という域にまでは達していないのではないかと感じました。イギリスとフランスのユーモアには、かなり開きがあるのですよね。

くそったれ、美しきパリの12か月』を読んだ日本人には、ますますフランスが好きになったと書いている人もいたので、貶してばかりいるというわけでもないのでしょう。

誰も聞いていないのに「日本は素晴らしいです!」と繰り返していたイギリス人を見たときにも違和感を感じましたが、スティーヴン・クラークも、正面切ってモノを言わないのがイギリス人なのかな?

前回の記事で、フランス人はイギリス人のことを偽善家だと感じるというのを書きましたけれど、そういう違和感が両国にあるのかもしれない。

A Year in the Merde』というタイトルだった本を『God save la France』にしてしまったのなんかは、私でも鳥肌がたつけれど...。

それにしても、どうしてこんなに英語と仏語で意味が違う題名を付け、しかも表紙に使う絵も変えているのだろう?

フランスのアマゾンサイトに入っているコメントを見たら、英語版を読んだ人が、こちらも読んでみようと思って注文したら、フランス語への翻訳版だったと初めて分かり、「詐欺だ!」と怒っている人がいました。本屋で立ち読みしなかったら、そうなる可能性はありますね。


似たような題の本があった...

『A Year in the Merde』というタイトル。どこかで聞いたことがあると思ったら、同じくフランスに住んだイギリス人のピーター・メイル(Peter Mayle 1939~2018年)のベストセラー『南仏プロヴァンスの12か月』でした。このベストセラーの原題は『A Year in Provence 』だったのです。

「プロヴァンス」を「糞(メルド)」というフランス語に置き換えただけではないですか?

ピーター・メイルが著書の題名に「Provence」を何度も使っていたのと同じに、スティーヴン・クラークは「Merde」をトレードマークにしたのかな?...

南仏プロヴァンスの12か月

A Year in Provence 

この『南仏プロヴァンスの12か月』を、ずっとピーター・メイルはフランス語版を出すのを拒否していたけれど、余りにも有名になったので、ついにフランス語版を出版する許可を出しました。そうしたら、それを読んだご近所の人たちから総スカンをくって、彼は引っ越したと聞きました。

彼は文章を書く才能が優れていますが、私が読んだ時は、かなりでっち上げのお話しが入っているだろうと感じたので、そういう結末はありうるだろうと思いました。

日本でもかなり有名だったあのベストセラーが出たのは、もう30年近くも前でしたか。

ピーター・メイルは、今年の1月に亡くなっていたのを知りました。
Comme le temps passe...


続き:
どんなものを食べているか言ってみたまえ

シリーズ記事: 嫌いな国の人を何に喩えるか 目次へ



ブログ内リンク:
ちょっと怖いな... 最近の日本礼賛ブーム 2015/03/01
フランスでは「13日の金曜日」はラッキーな日 2007/04/13 Merdeについて
海の向こうにある国に憧れるものなのか? 2006/10/12
★ 目次: 文学者・哲学者、映画・ドキュメンタリー

外部リンク:
☆ Wikipedia: メルド (フランス語)
イギリス人は好きだなぁ  『くそったれ、美しきパリの12か月』
【shithole】「肥溜め(こえだめ)・便所」トランプ大統領人種差別発言de英会話・スラング・略語の意味や使い方
Pourquoi êtes-vous tant à désirer quitter la France ?



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2018/07/07

シリーズ記事 【嫌いな国の人を何に喩えるか目次へ
その8

イギリスとフランスには千年に渡って戦いをした歴史があり、今でもお互いに好感を持っていないことを書こうとしています。そのテーマに相応しい挿絵を探したら、こんなのが見つかりました。

Caricature gillray plumpudding
James Gillray, The Plumb-pudding in danger - or - State Epicures taking un Petit Souper (1805)
”the great Globe itself and all which it inherit", is too small to satisfy such insatiable appetites.

Le plum-pudding en danger ou Les Etats épicuriens prenant un petit Souper
"Le monde entier lui-même et tout ce qu'il recèle" n'est pas assez grand pour rassasier de tels appétits.


⇒ 拡大画像は、こちら

イギリスの風刺画家ジェイムズ・ギルレイ(James Gillray 1756~1815年)が、「プラム・プディングの危機」と題して1805年に発表したたカリカチュアです。

左には、イギリス陸軍の赤い制服を着ているウィリアム・ピット首相 (小ピット)。その向かい側に座っているのは、皇帝になったばかりのナポレオンで、彼がつくった大陸軍の青い制服を着ています。

副題にはフランス語を使って「簡単な夕食」とあるけれど、彼らは大きなプラム・プディングを分け合おうとしています。

英仏の勢力圏争いを、美食を探求をする政治家二人として描かれています。

プディングは、実は地球儀。拡大してみると、地名まで読めます。ナポレオンがフォークを突き刺しているのは、ドイツのあたりでハノーファー(イギリスが統治していたハノーヴァー朝の拠点)。ピットは大西洋を付いているので西インド諸島を狙っている?

ナポレオンが奪おうとしている大陸は、ピットが取ろうとしている海よりずっと小さいよ、というわけなのかもしれません。

ピットの方は気取ったイギリス人紳士という感じなのに対して、ナポレオンの方は欲にかられた小僧という感じ。ピットは、食事用のカービングナイフとフォーク(3つ歯)を使っています。対するナポレオンは、サーベルと、突っつくためのフォーク(2つ歯)に見えます。

カービングナイフ(carving knife):
主にカービングフォークと一緒にローストビーフなどの肉の塊を切り分けるのに使われるナイフ。


ギルレイは、フランスを貶そうというわけで描いたわけでもなさそう。この風刺画の題名の下には、シェークスピアの言葉を引用しながら(『テンペスト』に出てくる?)、こんな食欲旺盛な人たちを満腹させるには地球は小さすぎる、と書かれていますので。


プディングには、湯気がたっています。

この風刺画が描かれるほんの少し前、戦争状態にあったイギリスとフランスは1802年にアミアンの和約を締結しました。でも、翌年には両国の関係は再び悪化。ナポレオンも皇帝に就任。

そして、ナポレオン戦争(1803~1815年)の時代に入ります。

この風刺画が発表されたのは、1805年2月26日。この年の10月には、トラファルガーの海戦にイギリスは勝利して、ナポレオン1世の英本土上陸の野望を粉砕しました。12月には、フランスはアウステルリッツの戦いで、陸軍ではイギリスには負けないことを示しています。でも、10年後にはナポレオンの完敗。

イギリスとフランスの仲が悪かったのは、ナポレオン時代だけではありません。両国が敵対関係であることを止めたのは、19世紀初頭になってからでした。


イギリスとフランスの敵対関係には、千年近い歴史がある

歴史に疎いので、フランスとイギリスの間にあった主な戦争を書きだしてみました。

フランスの勝利イギリスの勝利
1066年
ノルマン・コンクエスト
ノルマンディー公のイングランド征服
15世紀まで、イギリスの宮廷では仏語が使われた


1337~1453年
百年戦争
イギリス国王がフランス王位の継承権を主張したことに始める、イギリス王家とフランスの王家の戦い。イギリスはフランスに領土を広げたが、ジャンヌ・ダルクに鼓舞されたフランス軍が反撃に転じ、カレーを残してフランス国内のイギリス王領は消滅した。






1775~83年:
アメリカ独立戦争

1805年:
アウステルリッツの戦い
(ナポレオン戦争 1803~1815年)

1806年
ナポレオン1世(在位: 1804年~15年)による大陸封鎖 
⇒ 失敗






1415年
アジャンクールの戦い(百年戦争)


1689~1815年
イギリス・フランス植民地戦争
(第2次英仏百年戦争)

1756~63年
七年戦争
⇒ パリ条約(1763年)


1805年
トラファルガーの海戦
(ナポレオン戦争 1803~1815年)


1815年
ワーテルローの戦い(ナポレオン戦争)
ナポレオン1世が率いるフランス軍の敗北
⇒ ナポレオンは
セントヘレナ島(イギリス領)に幽閉される


フランス側の情報ですが、イギリス人を嫌うフランス人の割合より、フランス人を嫌うイギリス人の割合の方が多いのだそうです。イギリス人がフランスに対する反感を持つ底には、ノルマンディー公のイングランド征服(11世紀)が根強いのだろうと思います。

これによって、フランス王家とイギリス王家の間に婚姻関係もできたので複雑になります。
14世紀になり、フランスでは、シャルル4世(カペー家)が跡継ぎがないまま世を去ったので、従弟のフィリップ6世(ヴァロア家)が王位を継ぎました。そこで、シャルル4世の甥にあたるイギリス国王のエドワード3世は、王位継承権は自分にあると主張して宣戦布告しました。この百年戦争を始めは有利に展開したイギリスでしたが、結局フランスを領土にすることはできませんでした。

フランスの政治家クレマンソー(Georges Clemenceau 1841~1929年)は、「イギリスは、悪い方向に向かった旧フランス植民地だ」という憎らしい言葉を残しています。

- L'Angleterre est une ancienne colonie française qui a mal tourné.

痛快な格言をたくさん残しているクレマンソーですが、これはいつ言ったのでしょうね。

第一次世界大戦が終わって開かれたパリ講和会議(1919年)は、米英仏3国によって主導され、クレマンソーはフランス代表として参加していたので、イギリス人の気持ちを逆なでするようなことを言う立場にはなかったと思うのですけれど...。


英仏海峡

ヨーロッパ大陸の地図をあらめて眺めてみました。イギリス人が一番行きやすい大陸の部分はフランスですね。英仏海峡は日本海のように波が荒くないので、泳いで渡ってしまった人もいたくらいです。



イギリスがヨーロッパ大陸に上陸したいとき、フランスのカレーは最も上陸しやすい町のようです。1994年に開通した英仏海峡トンネル(ユーロトンネル)も、カレーとイギリスのフォークストンを結んでいます。

英仏海峡トンネルの経路図


このトンネルを通る鉄道を延長せて、イギリスとヨーロッパ大陸を結ぶ電車「ユーロスター(Eurostar)」ができたのですが、少し驚くことがあります。

ロンドンのターミナル駅の名前は、2007年までウォータールー国際駅だったのでした。「ウォータールー」と聞いても何も思い浮かびませんが、英語でWaterloo。ナポレオンを失脚させたワーテルローの戦い(1815年)の「ワーテルロー」なのです。

フランス人を逆なでしたくて、イギリスとフランスを結ぶ電車の発着駅をワーテルローにした訳ではないでしょうが、イギリス側は強気だな、と笑ってしまいます。

Waterloo(ワーテルロー)はベルギーにある地域で、ロンドンとは無関係のはず。ウォータールー国際駅の前身のロンドン・ウォータールー駅ができたのは1848年。30年ほど前にあったイギリス側に勝利をもたらしたワーテルローにちなんで命名したのでしょうね。

ユーロスターのロンドンのターミナル駅は別の駅になりましたが、フランスに対する配慮でワーテルロー駅は止めたというのではありませんでした。


カレーの恨みもあった?

カレーと言っても、ライスカレーではなくて、北フランスの町、カレー(Calais)のことです。

ローストビーフはイングランド料理で、スコットランドはボイコット? 」に書いた、イギリス人の画家ウィリアム・ホガースの絵画「古きイギリスのローストビーフ(1748年)」に描かれていたのは、英仏海峡に面したカレーの町の入口にあるゲートでした。


William Hogarth, The Gate of Calais (O, the Roast Beef of Old England), 1748

カレーは、2つの世界大戦でも戦場となって破壊されました。観光しに行きたくなるような町ではないので、2回くらいしか行ったことがありません。でも、歴史的にはとても重要な町だったのですね。

カレーの町は、古くからブリテン島を結ぶ中継地として栄えてきました。それだけに、イギリスとフランスの間で奪い合いの戦争も頻繁に起こっていたのでした。

英仏が百年戦争をしていた時代、カレーは、長期間に渡って行われたイギリス軍の包囲に破れ、1347年から翌年まで占領されました。このカレー包囲戦における降参の逸話は、ロダンの有名な彫刻『カレーの市民』の題材となっています。


Auguste Rodin, Les Bourgeois de Calais, 1895

イギリス軍に包囲されて飢餓状態になっていたカレー市。6人の人質を差し出せば市民は助ける、とイギリス王から言われ、名乗り出た勇敢な6人のカレー市民を描いています。市の門をあける鍵を手に、首に縄を巻き、裸足で市を出て行く6人の群像。

※ 「市民」と訳された「Bourgeois(ブルジョワ)」は、市民権を持つ、つまり裕福な者という、当時の都市住民の階級を表しています。


カレ-は、1453年から再びイギリスの手に渡ります。ヨーロッパ大陸に残る唯一のイギリス領となったカレーが、ようやくフランスに戻ったのは1558年。ヴェルサイユ宮殿にある「戦闘の回廊」には、その勝利の絵が掲げられています。


François-Edouard Picot, La Prise de Calais,1558


違和感を持つ外国人のメンタリティー

日本では「欧米」という範疇で捉えますが、フランスで色々な国の人たちに接すると、それぞれの国民性はかなり違うと感じます。服装やしぐさを見ただけでも、その人の国が判定できることが多いのです。

フランスにいる外国人らしき人たちを見るとき、「あれはイギリス人だ」というのは一目で見分けられると思っています。服装とか物腰が違う。さらに、話してみると、フランス人とはかなり異なったメンタリティーを持っている人たちだと感じます。

やたらに偉そうにしているイギリス人が多い。むかしフランス人たちからイギリス人は好きではないというのを聞いていたとき、私は偏見を全く持っていないと思っていました。ところが、在日フランス系企業で働くようになったら、フランス人たちが言っていることは正しいかな、と思うようになりました。

私の会社では第一言語が英語だったので、有名大学を出たイギリス人スタッフが何人かいたのですが、日本人スタッフに対する態度が半端ではないのでした。こちらを植民地の人間として扱っているのではないか、と感じました。フランス人でも大柄な人たちはいますが、あんな風にこちらの人間性を否定するような態度をされたことは一度もありませんでした。

その頃、兄がロンドンに転勤になり、一家はイギリスに移り住みました。ある時、幼い子どもたちが夏には学校で辛い思いをするのだ、と兄嫁が私に話しました。終戦記念日になると、戦時中に日本軍が酷いことをした、と毎年しつこいくらいに授業でやるのだそうです。「それなら、アヘン戦争についても詳しく学びたいです、と先生に言わせれば良いじゃない?」と、私。姉は何も言わなかっただろうとは思います。

イギリスとフランスは植民地争いをしましたが、植民地支配のやり方でフランスは劣っていたと言われます。フランスは、アレキサンダー大王のやり方を伝承しているのか、現地に溶け込もうとしました。イギリスの方は、徹底的に高圧的にやるので支配できる。植民地を持っていたら問題だと判断したら、イギリスはさっさと手を引くのに、フランスは踏ん切りがつかなくてダラダラやった。

フランスの植民地支配の歴史で、最大の汚点を残したのはアルジェリア(1962年独立)でしょうね。イギリスに強い敵対心を残した旧植民地はあるのでしょうか? 日本人よりは上手くやったのだろうという気がするのですが...。


◆ 一般の人たちの、対フランス、対イギリス感情は?

互いにどんな悪口を言っているのか、典型的なのはこんなのだ、とフランスの雑誌に書いてありました。

イギリス人は... (こういう時はローストビーフと呼ぶ)
偽善家で、みっともない服装をしていて、ビールを飲み過ぎで、どんな料理にもミントソースで味付けをする。

フランス人は...(蛙と呼ぶ)
横柄で、薄汚く、不誠実で、無作法で、四六時中ストをしている。

フランス人が、どういう理由でイギリス人を偽善家だと感じるかという例に、お育ちの良いイギリス人は絶対にNOとは言わない、というのがありました。これは日本人の方がもっと上を行っていますね。日本に少し滞在したフランス人が、基本的な言葉として「はい」と「いいえ」を覚えたのだけれど、滞在した1カ月半の間に「いいえ」というのは一度も耳にしなかった、と言っていました。

思っていること、欲していることをはっきり言わないのは日本人の美徳だ、とフランスの友達に話したとき、そういうのは偽善的な行為だ、と言い切られて、腹がたったことがありました。イギリス人にも、同じように不快感を持ちますか...。日本では、イギリス人は礼儀正しいと思っていますが、フランスでは、彼らには遠慮がないと言われることが多いように感じます。

日本人は、同じ島国の国イギリス人に似ているのかもしれない。「どんな料理も醤油ソースで味付けをする」と言えるでしょうから!

政治的なことに関しては、フランス人たちのイギリス批判はもっと厳しいはずです。

イギリスがEUからの脱退を決定したときに行ったアンケート調査では、Brexitを好ましいことだと答えたフランス人は41%もいたそうです。ドイツ人は13%、スペイン人とポーランド人は7%しかいなかったそうです。




フランスのサイトに見られる人種偏見を分析した調査(OECD 2004年)では、反イギリス感情は第4位にランクされていました。フランス人の15%がイギリス人に警戒心を持っている、と分析した学者もいました。

長い憎しみ合いの歴史があるイギリスとフランス。言葉の上でも喧嘩しているように見えるものがあるので面白いです。

英仏海峡は、イギリスではEnglish Channelと呼んで、イギリスのものだと見せていますが、フランス語では la Mancheと呼ぶだけ。でも、日本も勝手に「日本海」と呼んでいるので、イギリスの呼び名が不自然だは思いません。

さすがに、英仏海峡トンネルの呼び方は、イギリス側はChannel Tunnelとしていました。フランスではTunnel sous la Manche。

面白いのは、パーティーなどで、ご挨拶もせずにいつの間にか帰ってしまうことを何と言うかです。イギリスが先にtake French leaveと呼んだようですが、これはフランスも負けずにfiler à l’anglaise(イギリス式に立ち去る)と言います。


一概には言えないと思う...

割合からすると、イギリスは嫌いだと思うフランス人より、フランスは嫌いだと思うイギリス人の方が多いのだそうです。

私の個人的な経験からすると、そうかな?... と疑問符を付けます。フランスでは「イギリス人は好きではない」と言うのよく聞くのに、私はフランス人に反感を持っている発言をするイギリス人に出会ったことがないからです。本音を言うほど親しいイギリス人がいないからだろうとも思いますけれど。

イギリスに語学留学したとき、私は言葉が楽に通じるフランス人のクラスメートと一緒に、学校の近くにあるレストランで食事していたのですが(田舎だったせいか、料理が不味いとは全く感じなかった)、私もフランス人だと思っていたレストランのマダムは、「フランス語を学んだことがある」と嬉しそうな顔で私に言ったのです。

その話しをフランスの友人にしたら、イギリスではフランス語を話せることはステータスだからだ、と言われました。11世紀のノルマン・コンクエストの後、イギリスの宮廷では15世紀までフランス語が使われたし、今でもイギリス皇室の方々は流暢にフランス語をお話しになるそうです。それで、フランス語を話すのは上流階級だというという意識がイギリスにはあるようです。


イギリス人がフランス人を好かないとしても、フランス人に親近感を持っているイギリス人は9%いる、という数値もありました。フランスに住んでいるイギリス人が多いので、そのくらいはいるだろうな、と思います。

2004年の情報ですが、60万人のイギリス人がフランスに別荘を持っていて、13.5万人が永住するつもりで住んでいるとありました。

この統計は、フランスに家を買うイギリス人が急増しているので、不動産価格を釣り上げてしまうためにフランス人が困っていると問題にされた始めた時期だったと思います。

辺鄙な田舎でもイギリス人が異常に多くなった、と私も感じ始めていました。2008年に書いた私のブログでは、ここ10年足らずの間に、フランスに住みついたイギリス人の数は7倍になり、今ではフランス在住のイギリス人は50万人いる、とメモしていました。


Au secours, les Anglais nous envahissent ! (2006年)

この後、イギリス・ポンドのユーロ換算率が下がったので、フランスに大挙してやって来るイギリス人の波は下火になった感じがしています。

以前からイギリス人が多く住んでいる地域はありました。例えば、昔にはイギリス領だったアキテーヌ地方(中心部は、ワインで名高いボルドー)。旅行していたら、当然のことのように英語で交通標識が出ているので驚きました。

それから、スキー場があることで有名なシャモニーの町。そこに住んでいる友人が、フランス人お断りのような態度をする飲食店があるのだと話していたのですが、この町もイギリス人に気に入られているようです。この町に年間を通して住んでいる住民は1万人強なのですが、そのうち千人はイギリス人なのだそう。


フランス人の方でも、イギリス(特にロンドン)に住んでいる人はたくさんいます(2004年で25万人)。若者が英語を学ぶためにイギリスに行くのは普通になっています。

私の知人の中にも、イギリスに住んでいる家族がいる人が何人もいます。食べ物が美味しくないという不満を除けば、イギリスをしっている人がこの国を悪くいう話しは聞いたことがありません。ビジネスなどは、フランスよりやりやすいなど、褒める話しもよく聞きます。

実際に付き合ってみれば、偏見は消えるのでしょうね。イギリス人は大嫌いという私の友達も、近くに引っ越してきたイギリス人は、初対面のときから良い人だと好感を持ってしまっていました。


ところで、イギリスとフランスが仲が悪いと言っても、妙にフランスがイギリスを頼りにした歴史もあります。

フランス革命が勃発したとき、断頭台の露にならないために、イギリスに亡命した貴族たちがいました。

Flag of Free France (1940-1944)第二次世界大戦中には、ドイツ軍によってパリが陥落したとき、後に大統領となるド・ゴール将軍は、ロンドンに亡命しています。

彼は「自由フランス」をロンドンに結成し、イギリスの公共放送BBCを通じて、国内外のフランス人に、対独抗戦の継続と、ドイツの傀儡となったフランスのヴィシー政権への抵抗を呼びかけました。

フランス国内の政権にイギリスが反感を持つから、協力してもらえるのかもしれない。でも、例えば、日本の安倍政権に反対する人たちが、海を挟んでお隣りの韓国と協力して、現政権を倒す運動を起こすことは考えつきもしないですよね?

続き:
イギリス人がフランスについて書くと...

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ブログ内リンク:
やっと見ることができた「バイユーのタペストリー」 2009/11/06 (ノルマン・コンクエスト)
海辺のレストランで食事 2012/06/03 (イギリスとの歴史的関係があった町)
海の向こうにある国に憧れるものなのか? 2006/10/12
助けて、イギリス人たちに侵略される! 2008/03/20
フランスへの民族大移動が始まったのか?  2006/10/12
フランスの歴代大統領の身長 2017/06/26 (ナポレオンの身長は1.68 m)
フォークを使って食べることが定着するには、百年以上もかかった 2017/04/07
★ 目次: 戦争、革命、テロ、デモ

外部リンク:
L'Express: Nos meilleurs ennemis  2004
Ça m'intéresse: Les Anglais détestent-ils les Français 
Angleterre: du rosbif en tranche
Les rosbifs, nos amis britanniques !
Libération: Chamonix vend (très cher) son âme aux Anglais 2004
Le Parisien: Brexit  les Anglais, nos meilleurs ennemis 2016
イギリス文化論 - 英国大衆文化から見るフランスへのまなざし
イギリス人はフランス人をどう思っているのか?15項目でわかったこと
仲の悪い隣国・イギリスとフランスは、これぐらい悪い。
趣味の歴史: 百年戦争
英仏植民地戦争/第2次百年戦争
Napoléon à travers les caricatures 1799-1806:  (1)   (2)
Wikipedia: James Gillray
ジェイムズ・ギルレイのナポレオン
Syphilis, Christophe Colomb n'y est pour rien



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2018/06/17
前回の記事「世界で最も不味いのはイギリス料理?」に書いたように、何かを食べたときに「不味い」とはめったに言わない日本人でさえも、イギリス料理は不味いと言うのはなぜなのかが気になって調べています。

シリーズ記事 【嫌いな国の人を何に喩えるか目次へ
その5


イギリスは、豊かな食文化ができても不思議はない国だった?

イギリスの料理が不味いのは、北の方に位置していて、農業に適さない国土なので、美味しい食材がないからなのだろうと思っていました。

でも、そう農業に悪条件がある国ではないようなのです。

イギリスの土壌は耕作地に適しているのだそうです。
雨がよく降る国ですが、「恵みの雨」とも言われるくらいですから雨量が少ないよりは良いでしょうね。

それに、海に囲まれている国なので、海産物が豊富。イギリス国内には、海から120キロ以上離れている地点はないのだそうです。とすれば、何処に住んでいても海の幸が味わえる好条件があるわけですね。

しかも、古代から外国文化が入っているので、食品加工や料理の技術も発展していたのだそうです。

外国から食文化が入ったイギリスの歴史
紀元前55年: ユリウス・カエサルがグレートブリテン島に侵入。

古代ローマ人は、色々な家畜(ガチョウ、キジ、ウサギなど)や植物(サクランボ、アーモンド、コリアンダー、ブドウなど)をもたらしたし、チーズ製造などの技術なども伝えた。

5世紀: アングロ・サクソン諸部族がブリタニアに侵入し、養蜂、開放耕地、三圃式輪作などをもたらした。
ヴァイキングの時代(9~12世紀): スカンジナビアにあった魚の乾燥、塩漬け、燻製の技術が伝わった。

1066年: フランス王の封建臣下であるノルマンディー公がギヨーム2世によって、イングランドは征服され(ノルマン・コンクエスト)、フランス文化が入ってくる。ノルマン朝は1154年まで続く。

ブログにも書いたバイユーのタペストリーは、この戦いを描いているのですが、戦いを前にしたノルマンディー公が豪華な宴会を開いているシーンがあります。
十字軍の遠征(1196~1270念)により、イスラム諸国の食文化として、スパイス、生姜、アーモンドミルク、砂糖などが入った。
12世紀: イングランド国王ヘンリー2世アリエノール・ダキテーヌと結婚する。ボルドーワイン市場が開かれるようになる。

この結婚によって、英仏海峡にまたがる広大な領地のアンジュー帝国が成立する。
Henry II, Plantagenet Empire.png 1172年頃のアンジュー帝国


イギリス王とフランス王の間では、王位継承や領有権での対立が原因だった百年戦争(1339~1453年)もありましたから、イギリスとフランスに区別できない領土になっていた時代はずい分長く続いたのですね...。

近世以降のイギリスは広大な植民地を獲得します。日本が明治維新だった時期には、イギリスは世界の4分の1を領土にしていたのだそう。当然ながら世界各地の食文化がイギリスに入ってきますね。インド発祥のカレーなどは、イギリスが世界に広めたと言われます。

こうして書きだしてみると、イギリスの料理が世界で一番不味いとさえ言われてしまう環境ではなかったように見えます。


もう1つ、イギリス料理は、ピューリタンの影響で食の楽しみが罪悪視されたから美食文化が発展しなかったというのも考えられます。

イギリス人から、食べ物にうつつを抜かすのは罪悪だという文化がある国なので、イギリス料理が不味いと言われても気にならない、と言われたことがあります。なるほどと思ったのですが、よく考えてみると、それは彼らの言い訳ではないかという気もしてきました。

イギリスで宗教改革が起こったのは1534年。それなら、その時期にイギリス料理の発展はストップしたはずなのに、そうでもなかったのです。

ルネサンス期までのヨーロッパでは、どの国も似たり寄ったりの料理を作っていました。17世紀になってから、それぞれの国が独自の料理を模索し始めます。フランスの貴族たちが美食の追及をしたほどではないにしても、イギリスもイギリス料理と呼べるものができてきました。特に、ローストビーフとステーキ。

もしも、ピューリタンの教えに従ったから料理が不味くなったのだと言うなら、そこでイギリスの食文化はストップしていても良かったではないですか?


イギリスには、世界に誇れる料理があった

日本語だと、フランスのものでも英語で呼んだりするし、日本のものなのに外国語風の名前を付けていたりするので、片仮名を見ただけでは、それがどの国から入ったのかを判別するのが難しいです。

その点、フランス語は便利。ローストビーフ(英語でroast beef)はrosbif。フランス語ではスケーキ(英語でsteak)はsteakで、ビフテキ(英語でbeefsteak)はbifteckです。英語から来たのだろうな、と想像がつきます。ということは、この2つの料理はイギリスから入ったのだろうと想像できるわけです。

フランスの文献に「ローストビーフ」という単語が初めて現れたのは17世紀だったそうなので、その頃には既にローストビーフが存在していたということですね。始めは「ros de bif」だったけれど、すぐに「rosbif」になったとのこと。

イギリスでの伝統的なローストビーフの食べ方は、ヨークシャー・プディングを添えて、肉にはグレイビーソースをかけるというもののようです。



イギリスでは、日曜日に食べるご馳走として「サンデーロースト(Sunday Roast)」と呼ばれる料理を食べる習慣があり、ローストするのは牛肉が多く、それがローストビーフということなのだそうです。

日本のサイトでは、イギリス貴族は牛一頭を殺して日曜日にローストビーフにして、次の日曜日までその残りを食べていたから、イギリス料理では残り物料理の域を脱しなかったと書いている人がいましたが、これは私には信じられません。



大きな牛を丸ごとローストビーフにするはずはないと思うのです。大勢が集まるフランスのパーティーでは、バーベキューで動物の丸焼きにすることがよくあるのですが、丸焼きにできるのは子羊、子豚、イノシシなどです。それでも火の通りが悪いので、長時間焼かなければなりません。

たとえイギリスで日曜日のご馳走としてローストビーフを作ったとしても、牛の一部を使うだけで、残りはステーキにするとか何とか、別の料理にしていたはずだと思うのですけれど...。

イギリスで生まれたローストビーフに、当時のイギリス人たちは非常に誇りにしていたようで、それの証拠が面白かったのですが、それをここで書くと長くなるし、本題から外れてしまうので、別の記事にします。


イギリス料理を不味くしたのはヴィクトリア女王

イギリスでは、1760年代に産業革命が起こり、急速に発展します。

16世紀に進行し、19世紀始めに絶頂期を迎えたエンクロージャー(囲い込み)によって、働き場を失った農民が都会に出て賃金労働者となり、労働力を提供したことも発展の大きな要因だったでしょう。

農村から都会に出てきた労働者階級の人々は子どもの時から働き、料理を覚えたりすることもできない。働いていれば料理をしている暇はないし、燃料費を使うような調理をすることもできない。

中流階級は、そうした人々を使用人として雇うので、ろくな料理を作ってもらえない。かくして、それまであったイギリスの食文化は崩れた。

しかし、19世紀始めには、まだイギリスの食文化は破壊されていなかったようです。これについても長くなるので、別に書きたいと思います。

イギリス料理が不味くなったのは、ヴィクトリア女王(在位 1837~1901年)の時代だと言われます。

ヴィクトリア女王(1859年)
Queen victoria

ヴィクトリア朝は、世界各地を植民地化して繁栄を極めた大英帝国を象徴する時代でした。しかし、庶民生活は過酷な状況におかれていたようです。

飢えに苦しむアイルランド人(1847年)当時イギリス領だったアイルランドでは、1840年代後半にジャガイモの不作により飢饉が起こりました。

ところが、住民が食べるものがないというのに、アイルランドからイングランドへの食糧輸出は続けられました。

アイルランドでは100万人以上の餓死を出し、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどへの国外脱出者がでて、深刻な人口危機に陥ったそうです。

その60年ほど前におこった飢饉では、当時の政府は港を閉鎖してアイルランド人の食糧を確保していたのに、植民地になったアイルランドにイギリス政府は輸出禁止令を出しませんでした。

ヴィクトリア朝の政治では弱者に救いの手を差し伸べないで、ひたすら大英帝国の拡大ばかりに努めていたらしい。イギリスの食文化などが無くなっても気にしなかったのだろう、という気がしてきます。
 
ギュスターヴ・ドレ「ロンドンの貧民街(1872年)」



イギリス料理は不味いという印象を与えるイギリスの食べ物は、この時代に考案されていたのでした。

まず、フィッシュ・アンド・チップス。言ってみればファストフードの走りですよね。

それから、ウスターソース(英語 Worcestershire sauce、仏語 Sauce Worcestershire)。インドのレシピですが、それが1835年にイギリスにもたらされて改良されたソースなのだそうです。

これは手抜き料理には非常に便利なソース! 日本の家庭で、これがチューブ入りのマヨネーズと共によく使われているのを見ると、日本の食文化は衰えてきていると思ってしまう...。

フランス人はウスターソースを見ると顔をしかめますが、なぜかタルタルステーキをレストランで出されたときには、肉に混ぜ込むに欠かせない玉ネギのみじん切りやケッパーなどの他に、ウスターソースが出てきます。



このタルタル人のステーキという料理を初めてヨーロッパに伝えたのは、イギリスだったかと思って調べたのですが、17世紀のフランス人だったそうです。この料理になぜウスターソースが必要なのか気になりましたが、そこまで調べているときりがないので止めます。


現代生活で食事の質が下がったのは、フランスでも同じ?

19世紀後半から、イギリス料理は不味くなった。その原因が産業革命にあったとすると、フランスの産業革命は、幸いなことにイギリスより約百年も遅れていたのですよね。私の独断で「幸いなことに」と書きましたが、フランスが出遅れたことを歴史家はネガティブに捉えるようです。

フランスの産業革命は、1830年代の七月王政の時期に始まり、1860年代のナポレオン3世の第二帝政の時期に完成したと言われます。とはいえ、フランスの農民は都会に働きに行きたがらなかったこともあって、工業化の速度は緩やかでした。産業革命がフランスで本格的になったのは1905年からとみられます。

イギリスの都市人口は、産業革命の時期に50%になり、19世紀半ばには75%にまで増加していました。フランスの農民はなかなか都市に働きに出たがらなかったので、都市人口が農村人口を上回ったのは1931年です。フランスでは古き伝統が破壊されたのは遅かったということになります。


むかしフランスに留学したとき、親しくなったフランス人の家庭によく招待されました。どの家に行っても、何でもない家庭料理が素晴らしく美味しい。フランス料理が優れているのは、底辺が支えるのだ! と私は結論したのでした。

その後には、フランスの農家では手間暇かけて料理していて、都会では食べられない風味豊かな料理を作っているのを知りました。統計を見ると、サラリーマン家庭よりは農家の方が毎日の料理に時間をかけているので、私の感想は裏付けされたと思いました。

でも、家庭料理の質が高いとか、農家の日常的な料理は美味しいというのは、今では70歳を過ぎる人たちが料理を作っていた時代の話しだと思うようになりました。今の私は、フランス人が作る料理は素晴らしく美味しいなどと一般化しては言えません。料理がとても上手な人たちはたくさんいるけれど、本当に(!)下手な料理を出すフランス人たちも多くなったのです。

冷凍食品やレトルト食品を使った手抜き料理も多くなったし...。日本では『フランス人はお菓子づくりを失敗しない。』という本が出版されていましたが、失敗しないのは、今では自分でケーキを焼いて出す人は非常に少ないからだと思ってしまいます!

夫婦共働きになったら、家庭料理が簡略化される道を歩んで当然でしょうね。

フランスの場合、1970年代に女性解放運動がおこり、今では妻も職業を持つのが普通になっています。

戦後の貧しい時代に子ども時代を過ごした60歳くらいの友人たちは、母親は食費を節約しながらも美味しい料理を食べさせてくれた、と思い出話しをします。毎日、潔癖症と言えるくらいに掃除をしまくっていたけれど、母親は長い時間をかけて料理して美味しいものを食べさせてくれていたのだそう。

良き伝統は失われる運命にある...。

フランス人の料理時間について、20年前くらいに見た推移の時間、つまり調理時間が劇的に短くなっているのを見て驚いたことがありました。最近は低下した状態のままだろうと思ったのですが、それでも少しは減少していますね。

食生活に関する1986年と2010年の比較の統計がありました。国勢調査もしている組織のデータです。

この間に家庭で料理をする時間は18分減少していました(2010年には1日に平均53分)。それでも、食事にかける平均時間は逆に13分増加しているそうなので(2010年には1日に2時間22分)、それほどフランス人の食生活は乱れてはいないと言えるのかもしれません。


Les Français passent chaque jour 2h22 à manger 12/10/2012


イギリス料理に新しい風が吹いている?

食べるために生きていると言いたくなるようなフランス人たちですが、フランスの食文化は少しずつ乱れていると感じています。

不味い料理だと貶されていた国の方が努力しているかもしれない。

フランスのチーズ生産が大手企業の大量生産で脅かされているのに、かえってアメリカではフランスの伝統的な製法でチーズを作ろうとしている、という話しをブログで書いたことがありました(フランスの伝統的なチーズを守ることを訴えたドキュメンタリー )。

イギリスでも、21世紀に入ってからは、イギリス料理の不評を奪還しようと頑張っているようです。フランスの有名シェフや美食家たちが優れたイギリス料理が出てきたと認めているくらいですので、本当らしい。まだ全体な動きではなく、ロンドンのレストランなどで見られる現象のようですが。

私が面白いと思ったのは、フランスのテレビで見たイギリス人シェフのジェイミー・オリヴァー(Jamie Oliver)。

彼のテレビ番組がフランス語の吹き替えで放映されるのですから、イギリス料理は不味いとステレオタイプの評価があるフランスなのに見ているフランス人もいるということなのでしょう。彼の書籍までフランスで出版されている!

 So British !: Plus de 130 raisons d'aimer la cuisine anglaise

彼のアメリカ的(?)に叩きこむ話し方は鼻につくけれど、簡単に美味しい料理が作れるのだと楽しく見せています。


JamieOliverジェイミーオリヴァー1

少し前まではハンサムな男の子だったジェイミー君なのに、最近は変に太ってきているのが気になっていました。彼について検索してみたら、たくさんレストランを持っていたのだけれど、経営不振で閉店に追い込まれていると報道されていました。大丈夫なのかな?...

知らなかったのですが、彼は日本にはかなり入り込んでいるようでした。本がたくさん出版されているだけではなくて、彼の名前がついた食品まで、ネットショップにはおびただしいほどの数が入っていたので驚きました。



名前がオリヴァ―だからオリーヴを売りたかったのかな。でも、イギリスでオリーブが生産されるはずはないでしょう? フランスで売ったら、買う人はいないと思いますけどね...。

日本人はイギリス料理を貶すと書いてきたのだけれど、そういうことでもなかったのかな?...

続き:
ローストビーフはイングランド料理で、スコットランドはボイコット?

シリーズ記事: 嫌いな国の人を何に喩えるか 目次へ





ブログ内リンク:
やっと見ることができた「バイユーのタペストリー」 2009/11/06
★ シリーズ記事: フランスの食事の歴史 / 2017年
★ シリーズ記事: フランスの専業主婦の実態 2015年
★ シリーズ記事: フランスの外食事情とホームメイド認証 2015年
★ 目次: 食材と料理に関して書いた日記のピックアップ

外部リンク:
Pourquoi la cuisine anglaise a mauvaise réputation ?
La cuisine anglaise a une histoire
文春オンライン: イギリス料理が「まずい」原因は、産業革命だった!
イギリス料理がまずくなった5つの理由
イギリス料理はなぜ「まずい」のか─産業革命と二度の大戦から
世界史の窓: 囲い込み/エンクロージャ
世界史の窓: 産業革命
犬がローストビーフを作っていたって本当?
Wikipedia: ローストビーフ » Rosbif
Wikipedia: サンデーロースト
Wikipedia: イングランド料理 / English cuisine / Cuisine anglaise
ヴィクトリア朝庶民の暮らし
Wikipedia: ジャガイモ飢饉
やっぱり人災だったアイルランドのジャガイモ飢饉
Royaume-Uni: le fish and chips, star incontestable
☆ ピクシブ百科事典: イギリス料理 (いぎりすりょうり)とは
Les Français font moins la cuisine mais passent plus de temps à manger 12/10/2012
INSEE: Le temps de l’alimentation en France 12/10/2012
もうまずいなんて言わせない!日本国内の絶品イギリス料理店5選
「イギリス料理はマズい」はもう古い! ;英国に20年住むライターが教える「絶対おいしいイギリス料理」5選



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2018/06/09
親しい友人の家で昼食することになっていると話していた人に、翌日、料理はどうだったかと聞いてみました。

「いゃ~、酷かった! あんな不味い食事は滅多にない!」なんて言う。奥さんはダイエット中だからと食べなかったので、「あなたは食べなくてラッキーだった」などとまで言ったのですって!

そこまで言ってしまったら、料理をした奥さんが気の毒でしょう?!

でも、招待していた家の夫妻には急用ができたために、料理をする時間がなかったので、近所にあるパン屋さんで買って食事にしたのだそうなのです。


パン屋さんで買ったのは、キッシュと、デザートのケーキ。
それが非常にまずかったとのこと。

それに、奥さんが作ったサラダ、チーズだけの簡単なメニューだったので、全体として不味い食事だという印象ができてしまったようです。

フランス人の食べ物に対する恨みは強い。それほど親しくはない人には遠慮して気を遣います。でも、親しい人を相手にしたら、かなりはっきりと「不味い」と言います。お金を取るレストランだったら、もっとシビアだろうな...。


フランス人は、世界一美味しいのはフランス料理だと思っている?

美味しくないと思われている国の料理を出すレストランを、私はフランスで見かけたことがありません。中華料理店やケバブの店はたくさんありますが、あれは安いことを売り物にしているから客が来るのだろうと思っています。

中華料理は世界に誇れるレベルがあると思う。でも、高級な中華料理屋はフランスにはほぼ存在しないので、フランス人たちは驚くほど美味しい中華料理が存在するとは知らないようです。

そもそも、フランス人たちは自国の料理が世界で最も優れていると思っているので、他国の料理を出す飲食店が発達できないのではないかという気もします。例えば、イタリアはお隣の国で、移民も多いために馴染みもあるので、ピザ屋やイタリアン・レストランはフランスに数多く存在するのですが、イタリアで食べるときのように感激するイタリア料理店は非常に少ないです。

フランス人に、どこの国の料理が美味しいと思うかと聞くより、どこの国の料理は不味いと思うかと聞いた方が、返事は簡単に出てくると思います。食べたこともないくせに、あの国の料理はひどいと思っているのも面白い。

いつだったか、フランス人の友人たちとキャンプしながら移動する旅行をしていたとき、オランダ人が経営しているキャンプ場で泊まることにした時がありました。レストランもあるので好都合。ところが、夕食をとろうとして行ったら、出す料理がないと断られたのでした。

周りはオランダ人ばかりでしたが、みんな食べているのだから、何も出せないはずはない。近くにはレストランがなかったし、疲れていたので、何でも良いから食べさせて欲しいと頼みこみました。

すると、オランダ人のご主人は、「ここの料理は不味いですけれど、それでも良いのですか?」とおっしゃる! 仰天しました。そんなこと、普通は言わないではないですか?!

彼は、フランス人に何度も「不味い」と言われたので、もうフランス人客には食べさせないことにしたのだろうと思いました。

このとき出てきたのは、オランダの旧植民地関係で以前に住んでいたらしいベトナムの料理でした。エキゾチックで珍しい料理だったし、不味くはないので、誰も文句は言いませんでした。

フランス人の皆さん、不味くても黙っていないと、相手が料理しくなくなる、ということも考えないといけないですよ~!

日本人は、料理を出した人には「おいしい」としか言わないように感じています。その場の雰囲気が楽しめたり、作った人に好感を持っていたら、不味いとは感じないのではないかな...。

ところが、なぜか、日本人からも「不味い」という定評を与えられている国があるのですよね。フランス人が書いているブログでも、この国の料理は世界で最も不味いとしている人が多くありました。

シリーズ記事 【嫌いな国の人を何に喩えるか目次へ
その4


イギリス料理

Wikipediaの「イギリス料理」の記事には、ご丁寧に「「不味い」というイメージ」という項目まで設けられていました。

日本人が口をそろえて「イギリス料理は不味い」と言うのは、なぜなのか気になります。「イギリス料理 まずい」をキーワードにして検索すると、たくさんの記事がヒットします。



不味いのは確かだけれど、なぜ日本人がそんなにイギリス料理だけを取り上げて貶すのかが不思議。オランダ、北欧、ドイツ、ロシアなども料理は美味しくない、と私は感じているのですけど...。

そういえば、日本でイギリス料理のレストランには行ったことがありません。フランスでは見かけたことがないドイツ料理店やロシア料理店は、東京などにはたくさんあるのに。でも、調べてみたら、やはり日本にはイギリス料理店もありますね。

フランスでよく行く町に「ビック・ベン」と名付けたレストランができたとき、一緒にいた友人が「そんな名前をつけたら誰も来ないのに」と言っていました。予測は当たって、その店は1年もたたないうちに店じまいしていました。

何でも「おいしい」と言う日本人なのに、なぜイギリス料理だけ貶すの? 日本で誰か権威のある人が「イギリス料理は不味い」と言ったので、他の人たちが平気で同じことを言うようになったのかな?... イギリス料理が不味いと日本人に思いこませたって、儲かる人はいないでしょうから、何かの策略だったとは思えません。


私がイギリス料理と言って思い浮かべるのは、フィッシュ・アンド・チップス(Fish and chips)でしょうか。



見るからに美味しそうではないので、何度もイギリスに行きましたが、食べたことはなかったかもしれない。

日本では余り言わないかもしれないけれど、ベルギーの代表的な料理はイギリスと少し似ていて、ムール貝とフライドポテトです。日本人の私にはムール貝は珍しいので、こちらは大好き。でも、フランス人に食べたいと言うと、なんとなく軽蔑されているのを感じます。


ロンドンで食べたローストビーフ

むかし、ロンドンに駐在していた兄に初めて会いに行ったとき、有名なレストランに連れていってあげるからと言って、シンプソンズ(Simpson's in the Strand)というレストランに行ってくれました。ローストビーフが有名な店なのだそう。

食べ終わってから、兄はサインを入れたメニューを私のために調達してくれました。日本から来るVIPの接待のために、兄はよくこのレストランを利用していたのだろうと思います。


Simpson's in the Strand

せっかくご馳走してくれたけれど、ほとんど喜びませんでした。フランスでもっと美味しいローストビーフを食べていたし、高級料理という感じはしない盛り付けだったし、なにしろ気取った雰囲気なのが鼻についてしまったし...。


◆ ローストビーフも、ビーフステーキも、イギリス生まれの料理

日本でもローストビーフと英語で言うし、フランスでもroast beefをフランス語風にしたrosbifが料理の名前なので、英語圏の料理だろうとは想像つきます。

でも、ローストビーフはイギリス料理だというのは、ほとんど意識されないのではないでしょうか?

ロンドンにいた兄がレストランに連れていってくれたとき、なぜイギリスでローストビーフ? と私が思ったのを覚えています。

でも、ローストビーフはイギリスで生まれた料理なのでした。この時の兄は、ローストビーフはイギリス発祥の料理で、それを誇りにするから、こういう高級料理店があるのだ、と私に説明しただろうと思います。

でも、その後もずっと、私は意識していませんでした。フランス人がイギリス人のことを「ローストビーフ」と呼ぶのを不思議に思ったほどでしたから。

昔のイギリスでは、日曜日に食べるご馳走として「サンデーロースト(Sunday Roast)」と呼ばれる料理があり、ローストとしては牛肉が多い。それでローストビーフということのようでした。



ビーフステーキも、イギリス発祥の料理なのだそうです。フランス語ではbifteckなので、英語のbeef steakから来たのだろうと想像はできますけれど、これもイギリスから入った料理だとは思ってもいませんでした。


ビーフステーキに関する情報を探しながら分かったのですが、不味いと定評のあるイギリス料理も、昔は優れた料理だったらしいので驚きました。それを次回から書いていきます:

イギリス料理を不味くしたのはヴィクトリア女王だった

シリーズ記事: 嫌いな国の人を何に喩えるか 目次へ




ブログ内リンク:
日本のテレビ番組で気になっていることに関するアンケートのお願い 2014/01/04
イギリス人がフランスで売っていたフライドポテト 2008/07/15
ベルギー料理といったら「ムール・フリット」! 2009/05/21
★ 目次: 食材と料理に関して書いた日記のピックアップ

外部リンク:
Wikipedia: イングランド料理 / English cuisine / Cuisine anglaise
Pourquoi la cuisine anglaise a-t-elle mauvaise réputation ?
La cuisine britannique est-elle si mauvaise
D'où vient la mauvaise réputation de la cuisine anglaise
☆ Wikipedia: Simpson's-in-the-Strand



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2016/11/18
子どもの時には触覚が敏感なものなのでしょうか。幼い頃の思い出の中には、触ったときの感覚が残っているものが幾つもあります。

住んでいた家の外壁にはめ込まれた小さなタイルの手触りは、まだ幼稚園にも入っていなかった頃だったはず。小学生のときに初めて田んぼに足を踏み入れたとき、足の指の間にヌルヌルとした土が入ってきた感覚もあります。

それから、母が持っていたべっ甲の髪飾りを持ったときの触感も鮮明に残っています。


簪(かんざし)、櫛(くし)

母の髪飾りは、下のアイテムと同じ感で、美味しそうな飴色をしていて、かなり厚みがあるものだったのを覚えています。ただし、彫刻は浮彫で、色はついていなかったような気がします。



実は、こういうのは「簪」と呼ぶと思ったのですが、簪は髪に指すタイプで、こういうのは「櫛」と呼ぶのが正しいというコメントをいただいたので、この記事は書き直したり、書き足したりしています。

(かんざし)    (くし)


「かんざし」と聞くと髪飾りをイメージしますけれど、「クシ」という発音を聞いたら髪をとかすときの味気ないクシを思い浮かべてしまう。

上のタイプは、「前櫛(まえくし)」と呼べば良いようです。

ところが、上に入れた商品の説明では、こんな風に書いてありました:
両面上部に螺鈿が入れられたとても希少な逸品です。歯間が狭いので櫛よりも簪(髪留め)仕様かと思われます。

となると、簪なのか櫛なのか分からなくなる...。商品名は、賢く「櫛簪」とされていますね。

混乱してしまいますが、本来「かんざし」と呼ばれる髪飾りは、下のように髪に指す形が正しいのは確かなようです。


「くし」は「苦死」と同じ発音なので、贈り物にするときには「櫛(くし)」を「簪(かんざし)」と呼んだりするのだそう。売る方でも、飾り物の櫛は「かんざし」と呼んでしまうことがあるように感じました。


前櫛

母が大切そうに持っていた髪飾りは、引っ越ししているうちに無くなってしまいました。それが懐かしかったのか、名古屋に旅行したときに入ったアンティークショップで、同じようにカマボコ型の櫛を売っていたので買ってしまっていました。

これです ↓



美味しそうな飴色はしていません。母が持っていたものは、触ったときのツルツルした感じに温かみがあって、いかにもベッコウという感じがありました。

買った前櫛は、昭和の貧しい時代に作られた安物という感じがしていました。それに私は天性の風来坊なので、必要のない物を持つのは好きではない。でも、これを見たときに思い出話しを店の人にしたら、うまく乗せられてしまったようです。値引きまでしてくれる。連れて行ってくれた人が親しい店だったので、何か買わないと悪いような気もしていました。

それで、大して気に入ったわけでもないのに、買ってしまったのです。

この櫛をフランスに持ってきていたのに、すっかり忘れていました。いつもはめったに入らない部屋に飾ってあったのを見つけて思い出し、その翌日にアンティークショップを開いていたこともある友人が食事に来たので、これを見せて本物の鼈甲かどうか聞いてみようと思いつきました。

気に入られるようだったら、どうせ誰も眺めないままに放置されているだけなので、プレゼントしようという魂胆。

前回の日記「なんでもプレゼントしてくれてしまう友人」で書いた友人なのです。私の方も何かあげたくなるわけなのですが、日本からは古いものをほとんど持ってくることがないのでした。これは、いちおうアンティークショップで買ったのだから、かっこうのお返しになるではないですか?

私の方が頻繁にこの友人夫妻を食事に招待しているだろうし、ワインの買い付けなどに行ったときは彼らの分も買ってお土産にしています。こうなるとプレゼント合戦になってしまって、切りがないのだけど...。


友人は櫛を電灯の光にかざし、歯の切り込みなどをしばらく眺め、「本物のべっ甲だと思う」と言いました。歯の切り込み方が、型で作ったプラスチック製とは違うのですって。

「値打ちものだ」とも言う。
「興味がある?」と聞いたら、「ウイ」と答える。

それで「あなたに、あげる」と言ったら、目がキラキラ。少し遠慮したけれど、あっさりともらってくれました。

彼はやわら友人は立ち上がり、テーブルの向こう側から私の方に歩いてくるので驚く。プレゼントされたらキスのお礼をするものなのですよね。何年たっても習慣が身につかない私...。


おめでたい飾り

櫛を眺めながら、友人は「結婚式の時に付けたのだろう」と言いました。

古いものを集めているので、日本や中国のものも彼らのコレクションに入っているので、ある程度の知識はあるらしい。ご主人の方は、若いときに空手をやっていたし、盆栽の作り方にも知識があるので、私などより日本のことを知っていると感じることがあります。

あらためて眺めてみたら、おめでたいものが飾りのモチーフになっていたのでした。店でも何か説明してくれたと思うのですが、すっかり忘れています。



松竹梅、鶴、亀。全部並んでいる。結婚式に使った髪飾りだというのも本当らしく思えてきました。

縁起担ぎが日本にあるというのは、フランス人の友達は知らなかった様子。それで、鶴は千年、亀は万年生きると言われるのだ、などと言いながら、本当にそうだったけかな?... などと思ったのでした。

松竹梅がおめでたいという理由は知らなかったので、説明しなかったのですが、なぜかとは聞かれませんでした。

これを書きながら調べてみたら、「松竹梅」は中国の「歳寒三友」から来ているのだそう。松と竹は寒中にも色褪せず、梅は寒中に花開く、ということのようです。フランス語では、中国語をそのまま訳して「Les Trois Amis de l'hiver」と呼んでいました。覚えておこうっと。


派手に松竹梅をあしらった簪の画像がWikipediaに入っていました。

Shochikubai kanzashi

画像のタイトルは「一月の舞妓(年少芸者)の松竹梅簪」となっている。結婚式だから松竹梅の飾りにするというわけでもないかな?...

でも、花嫁さんの飾りとして「松竹梅に鶴かんざし」というアイテムが見つかりました。

松竹梅は二人が困難にもめげずに生きていくことを表し、鶴は生涯夫婦で添い遂げる鳥というシンボルだからなのだそう。

私の櫛には亀もあったのだけれど、上の飾りには亀はないようです。亀といったら、海辺で涙を流しながら出産する姿を思い浮かべるので、結婚式に亀は持ち出したくないと私は思う。

母が大切にしまっていて、時々見せてくれていたべっ甲の髪飾りも、結婚式の思い出の品だったからだったのかな?... あるいは18歳で死に別れた母親の形見だったか?... 年がほとんど違わない後妻さんから邪魔者扱いされた母は、実家には遊びに行けなくなっていたので、余計に懐かしい思い出だったのかもしれない。

ともかく、友人にプレゼントした櫛にどんな意味があっても私には関係ないので、結婚式の髪飾りだったと思うことにしました。


本物のべっ甲なのかな?...

友人は「peigne(クシ)」と呼んでいました。その単語で話していたので、「カンザシ」という呼び名が存在していたのを私が思い出したのは、友人たちが帰った後でした。

インターネットで調べてあげると言って写真を撮ったのをここに入れました。丁寧に写真をとっていると、あげたことを後悔しているように見られてしまうかと思って、いい加減に撮影したのでピントが合っていないのですけど。

裏側は、こうなっています ↓



彫刻にしては凝り過ぎているのですが、この部分は張り付けたのでしょうね。

これと似たようなものがあるかとインターネットで画像検索したのですが、飾りが同じものは見つかりませんでした。

クシの部分を光で照らしたらギザギザが見えるので本物のべっ甲だ、と友人は言っていたのですが、偽物ではないかな?... 子どもの時に触った時のような柔らかい食感がないのです。それに、数年前に買ったときに払ったのは8,000円だったと思う。本物のべっ甲だったら、そんな値段では売らないのでは?



ところで、偽物のべっ甲を「プラスチック製」と私は呼んだのですが、「セルロイド」と言うべきなようです。

べっ甲が本物と偽物かの判断は、専門家でさえも難しいのだそう:
鼈甲(べっこう)と鼈甲の偽物(擬甲)の簡易鑑別法(見分け方) その2

この見分け方を読んでも判断できなかったのですが、私が名古屋で買った櫛はべっ甲ではないだろうと結論しました。でも、プレゼントした友人には言わないでおきます。
記事更新: 2016/11/24

ブログ内リンク:
★ 目次: アンティーク、蚤の市などについて書いた記事
★ 目次: プレゼントや土産物に関して書いた記事

外部リンク:
櫛かんざし美術館(Kushikanzashi Museum): 所蔵品
かんざしの種類
☆ Des choses: Kanzashi
Creative-museum


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2014/01/24
日本のある港町に行ったとき、何枚も写真を撮っていました。



こういうところが故郷の人だったら、外国から帰ったときに眺めて、帰ってきたな... なんて感慨にひたるのだろうな...。

東京が故郷だと、そういう風景がないからつまらない。日本で地方を旅行したときには、よくそう思うことがあります。

フランスにいるとき、日本が懐かしいと思いながら目に浮かんでくる風景がない私...。東京って、そういうところだと思う。



日本中どこに行っても見れる、とても日本らしい風景もありました。




下のような、ゴッチャゴチャというのも、珍しくない日本の風景。でも、ここは魚を乾したりしているので風情もあるかな...。




スルメって、こんな風に作るの... と感心した装置。



回転させて、遠心力でイカの皮が引っ張られた状態で乾いていく、というシステムなのでしょうね。
 
おいしそ~ と思ってしまいました。自然に、伝統的に、作ったものが好きです。私が東京で買うスルメなんて、工場の中に並べて乾燥させているもののはず。こんな風につくったスルメは美味しいのだろうな...。誰もいなかったので、これは何処で買えるのかと聞いてみることができませんでした...。

こういう風に食品を作って市販するのは、フランスだったら認可されないのではないかという気もしました。ヨーロッパ連合(EU)ができてからは、やたらに衛生基準がうるさいので、私などは食文化を消滅させようという意図があるのかと反感を持ってしまっています。

フランスの小規模生産チーズは不衛生だから禁止するというのがあったけれど、なんとか生き延びました。その次の槍玉にあがったのは、イタリアで薪を燃してピザを焼くのは不衛生だから禁止するなんていう、とんでもない主張。幸いにも、手作りチーズもピザも禁止にはならなかったけれど...。


◆ 「奴隷のように働く」という言い方

もう2年も前の旅行でした。写真を眺めてみたのは、探し出したい1枚があったからです。あの場面は撮っていなかったらしい。悪いと思って遠慮したのだと思う。

港から少し入ったところにある路地で、開け放った玄関から中が見えたのでした。玄関先に年配の女性がしゃがみこんでいて、魚を干物にする下ごしらえらしき作業をしていたのです。

1月で寒いというのに...。

なんだか、とても日本らしい光景に見えました。写真家だったら、白黒で芸術作品になるような捉え方ができたと思う。

こんな風に、発展途上国にあるような働く姿が経済大国日本にあるなんて、フランス人たちは想像もつかないだろうな、とも思ったのでした。


その場面の写真を探し出したかったのは、「奴隷のように働く」という表現をフランス人たちがよく使うからです。 「奴隷」なんて言葉を持ち出すのはオーバーすぎる、と思ってしまう場面でも使っています。

例えば、ディズニーランドやファーストフード店の従業員の働かせ方。「いらっしゃいませ~♪」なんて笑顔で言わせたりするのは人権を侵害している、と怒って、従業員たちがストをしたりする。

そういうのが嫌いだったら、そういう仕事にはつかなければ良いと思うのだけれど...。それなのに仕事についてしまって、みんなで抗議行動ができるというのはスゴイと思う。

それで、「奴隷のように働かせる」という話しがでると、フランスの友人たちは、みんな、「そうだ、そうだ」と同感しています。

フランスは働く権利が守られている国だと、常々思います。いや、日本が、労働時間とか、労働条件とかにかけては先進国とは言えない状況にあると言うべきでしょうね。日本がこれだけ経済大国になれたのも、文句を言わずに働く人たちがたくさんいるからだ、と私は確信しています。

寒い玄関先で作業をしていた高齢の女性の姿が目に浮かんだのですが、ああいうのは奴隷のような労働条件の例としては相応しくないと思います。

日本での派遣社員の働かせ方とか、「お客様は神様」として働かされる店員とか、会社の中で屈辱的な立場になっているとかいうのに比べたら、ずっと精神衛生上は良い仕事ですから。

 シリーズ記事: 「奴隷のように働く」という例え


外部リンク:
美しい国 日本の景観 - 景観法 電線類地中化 蜘蛛の巣大賞 などを考える



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2013/01/27

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その5


前回の日記(日本アルプスを望む美しい村)に書いた役場前広場では、郷土資料館を案内してくださる方の到着を待っていました。

北アルプスの山々が屏風のように広がっているので、いつまで待たされても構わない。

こういう見晴らしの良いところだと、フランスでは中世に城が建てられた城が残っていることが多いです。攻めてくる敵があったときには、遠くにいるうちに見えてしまうので。

ここでも、反射的に、どこかに城の廃墟が残っているのではないかと思ってしまいました。

日本では古城を残していないだけで、やはり、ここにも城はあったようです。役場前広場からもう少し上がったところに、 小松尾城という城があったらしい。


すごい名言?

役場前広場に立って風景に見とれていたら、地元の人に話しかけられました。

どこから来たのかと聞きます。フランスに住んでいるなどと言ったら混乱するので、ただ「東京から来ました」と答えました。

「こんな美しい景色を見て暮らしていらっしゃるのですか? いいですね...」、と言ってみる。

場所は違うのですけれど、北アルプスの風景を望む美しい映像があったので入れてみます。



こんな風景を毎日見ながら暮らしていたら、どんな気持ちだろうか、と思いますよね?

すると、この男性から返ってきた言葉に唖然としてしました。

こう答えられたのです。
「山が美しくたって、おかずにはならないからね」

年配の男性なので、日本人的謙遜かなと思いました。
でも、そうでもないみたい...。

「こんな景色を眺めて食事をしたら、どんなに不味いものを食べてもおいしいじゃないですか~!」、と私。

それでも相手は納得しない様子。

美しい山並みを毎日見ていると、どうということはないと思うようになるのでしょうか?

あるいは、よそから来た人たちから美しい景色だとばかり言われるのにうんざりしている? それで、厳しい気候の中で生活するのは大変なのだ、と反発したくなる?…

でも、その場にいたもう一人の男性は、山の風景は天気によって異なるので面白いのだと教えてくれました。

山は、天気が悪いと遠くに見えて、天気が良いと近くに見える。なるほど、その日は後者の例でした。


山の生活は厳しい...

泊めていただいた家に「姨捨」などという飛んでもない名前がついたお酒の瓶があるので驚いていたら、近くに姨捨山という名の山があるのだと教えられました。

ちょうだいできる画像を探したら、私のような人を意識したらしくて「オバステ」と書いてあるのしか見つからなかったのですが、右に入れました。

でも、私が見た日本酒は「姨捨」と漢字で書いてありました。

怖くなるような名前の日本酒。

そういう厳しさがあった土地なのでしょうね...。

ところで、この姨捨伝説は、フランス人によく知られているので気になっていました。書きながら調べてみたら、やはり映画があったのですね。古い日本映画が好きなフランス人は多いので、そこから広まったのだと思う。

さらに調べてみたら、その姨捨山が楢山節考の舞台とは言えないような...。少なくとも、その土地の人にとっては、結び付けられるのは嬉しくないでしょうね。

でも、長生きしすぎる人に早く旅立ってもらわなければならないような貧しい土地といったら、山岳地帯を思い浮かべます。

「山はおかずにならない」なんておっしゃるから、そんなことを思ってしまったのですよ~!

あちらは、観光客は山が美しいなんてノンキなことを言っていると思われたのでしょうが、こちらにしてみたら、毎日美しい山に見惚れないで暮らしているなんて... と思ってしまいます。

山に憧れる人は多くて、憑かれたように住みついてしまう人たちもたくさんいるのに...。フランスのアルプスでは、ご主人を捨ててシャモニーに近い山の中の村に引っ越してしまって、元気に一人暮らしをしている高齢の女性にも会っていました!


生まれ故郷を捨てるバカ

そうこうしているうちに、郷土資料館を案内してくださる先生が到着しました。私が地元の人とどんな話しをしたか分からないはずなのに、自己紹介した後、こんなことをおっしゃいました。

「こんなところで生まれながら、都会に出てしまう馬鹿がいるのですよね」

バカと言う言葉に力を入れて、2度くり返しました。

「本当に!」と、私は笑顔を見せました。

ご自分に言っているのが分かったからです。この先生は都会に出て働いていて、定年になってから故郷に戻ってきた方だと聞いていましたから。

「でも、いつでも帰ってこれるのだから良いではないですか?」と付け加えました。私が帰ってこれるのは東京しかありません...。


景色じゃ飯は食えねえ、と言う人もあったわけですが、長野県の人たちは故郷に対する思い入れが強いのではないかという気もします。

美しい山々がある郷土。自然の厳しさに耐えている故郷だから、よけいに愛おしくなる?...

この長野旅行シリーズを書きながら、そう思うことに東京で出くわしました。

- 続きへ: 郷土を賛美する歌 - 長野とブルゴーニュの比較 -


外部リンク:
小松尾城(長野市(旧大岡村)、大岡城と天宗寺館(長野市大岡)
☆ 千曲市: 姨捨山
「さらしなの里」に伝わる伝説
La Ballade de Narayama (film, 1983)
☆ Wikipédia: La Ballade de Narayama (film, 1958)

ブログ内リンク:
雲海? 霧の海? 2011/02/04



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2013/01/25

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その3


戸隠の自然に詳しい方が、戸隠神社に連れていってくださいました。

朝から素晴らしい快晴の日♪


パワースポット?

戸隠神社の奥社まで続く杉並木の参道は、吉永小百合が立ってパワースポットを浴びるという場面があってから爆発的に有名になったのだそう。この画面のことだろうと思います。



パワースポット」という言葉を聞いたことがあったかどうかは分からないのですが、何となくその意味は想像できました。

Wikipediaの記述を信じれば、パワースポットという言葉が使われるようになったのは、1990年代初めだそうです。

power spotなんて和製英語。それでも、なんとなく意味が分かるということは、日本人は自然にそういうものがある、と感じているからでしょうね。

パワースポットをそのままフランス語にしても、フランス人には何のことだかわからないはず。そこに立つと、神秘な力がエネルギーと幸運と癒しを与えられる場所、などと説明する以外に方法はないでしょうね。

それでも、意味が通じるだろうか? でも、何か「パワースポット」というのに対応するフランス語があるような気もする...。

そう思うのは、下の日記に書いた出来事があったから:
フランス人って...: ドルメンの上で演じられた寸劇 2009/09/17

ともかく、「体に良い食べ物」などと言われると、とたんに不味そうに感じてしまう、へそ曲がりな私。何かの宣伝にのるのが嫌いなのです。戸隠の参道も、パワースポットだと聞いていなかったら、もっと神秘的な気持ちで歩けたと思う...。


奥社までの長い道のり

戸隠のパワースポット・ブームは少し下火になったそう。しかも雪が積もっている冬なので、参道はそれほど人がいないのが嬉しかったです。

かろうじて歩けるくらいの踏み鳴らした道ができているだけなので、人とすれ違うときには道を譲らなければなりません。ゾロゾロと人が歩いていたら、ちっとも前に進めなかったでしょうね。



木々の説明などをしてもらいながら歩きました。

ひたすら、歩く。かなり長い道のりです。

車で行けるところまで行って降りてから、奥社まで2キロというところでしょうか。雪道は足元がおぼつかないし、滑るのでかなりゆっくり歩きました。

ようやく、奥社に到着!



奥社は地形的にも雪なだれがおきやすい場所にあるそうで、近年に何度も流されているのだそうです。それでコンクリート製になっていました。

なんとも味気ない奥社...。



長々と歩いてきたのに...。

流されていてはどうしようもないからコンクリート製にしたとしても、もう少し風情があるように見えるつくりにできなかったのだろうか? 建物の表面に木を張るとか、立派な入口になる木の扉をつくるとか...。

お賽銭を入れるためにドアが少し開いていますが、まるでアルミサッシの玄関みたい...。

調べてみたら、コンクリートになったのは1979年の再建のときだったそうです。

オイルショックの時期だったから、こんなになった? ここまで車が入れないから、たいそうな建物を建てることができなかった? 建てた人たちは、これが味気ないとは感じなかった?

なんとも不思議です。


防寒靴って、そんなに効果があるの?

この日、パワースポットの威力よりも驚いたものがありました。

雪道を1時間以上歩くからと、友達が貸してくれたソレルのスノーブーツ。



左が私のブーツ。右は、それを貸してくれた友達のブーツ。

結局、往復2時間くらい歩いたと思います。このブーツを履いていたら、足はポカポカでした。

足が濡れないというだけではなくて、あたたかいのです。すごい防寒ブーツなのですね。

雪道を歩くという機会はめったにないので、買うとは思わないけれど、これだったのだろうというものを記憶しておくために探してみました。


私は足がちっとも寒くないので意識していなかったのですが、ブーツを貸してくれた友達の方はものすごく足が冷たくなってしまったようです。帰り道で急な坂がなくなったとき、彼女は「もう限界!」と言って走り出しました。

ごめん! せっかく、こんな時のためにソレルのブーツを買っていたのに~!

このブーツの欠点は、少し重いこと。それから、やはり雪の上を歩いていると滑ることでした。

北海道に行くときに買った、簡単に取り付けられるカンジキを持ってきたらパーフェクトだったのではないかな?...

普通、山を下りるときは早く歩けるのに、滑りそうなので大変だったのでした。

あのゴム製のカンジキは、どこに行ってしまったのだろう? トルコ旅行のときに思い出したので探してみたのですが、見つかりませんでした。

トルコは暖かいと思って行ったのだけれど、寒かった! 2012/03/09

でも、多少滑るのなんてどうということはないので、足が冷たくならない防寒ブーツがあったのは助かりました。


美しい神社を見て満足

奥社は余りにも味気ない建物だったのですが、降りてきてから立ち寄った中社は神社らしい建物でした。



これの小さいのが奥社にあったら良かったのに...。

この後は、おいしい戸隠蕎麦を食べて、それから温泉にも行って... と、素晴らしく充実した1日のプログラムでした♪




今回は雪が深くて足をのばせなかった鏡池の動画もありました:




緑の季節も、また趣があるでしょうね...。



また行きたいな...。

外部リンク:
☆ オフィシャルサイト: 戸隠神社
戸隠神社の地図
 ☆ 戸隠神社7 〜奥社、九頭龍社 雪崩で倒壊 コンクリ製に
パワースポット戸隠神社
☆ Wikipédia: Togakushi-jinja
☆ JR東日本:大人の休日倶楽部|CM情報:長野県「戸隠篇」
吉永小百合がゆく戸隠古道「JR東日本 旅どきnet」CM動画



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2013/01/23

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その2


前回の日記(芦ノ尻道祖神)に書いた道祖神と資料館を見た後、この地区の伝統を見せる博物館(大岡歴史民俗資料館)の見学もしました。

この土地で育った民族学に詳しい方が案内してくださったので、展示物が生き返ったように感じてとても興味深かったです。

村の生活を感じさせる数々の展示物の中で、妙に気になったのが、こちらの雛段飾りでした。



下に棒が付いているので、バリ島の影絵芝居ワヤン・クリを連想しました。

聞いてみると、この棒を持って何かやっていたわけではないとのこと。

近い親族は、この雛段の上段にある普通の雛飾りを贈るのだけれど、それ以外の人たちは倹約するために、こういう平たい人形をプレゼントしたのだそうです。

どこかで見たことがあるような...。

日がたってから、ようやく気がつきました。これは羽子板の押絵と同じではないですか?!

【送料無料】羽子板 初正月 正月飾り ケース飾り

羽子板というのは高価だという感覚が私にはあるのですが、昔はそうではなかったのでしょうね。


押絵雛

この平べったい雛様飾りを何と呼ぶのか聞きそこなってしまったので、調べてみました。

日本国中にあるようですが、私が見たのと同じ長野県にある松本の情報が多く出てきました。「押絵雛」と呼んでいます。

下に棒がついているのが気になったのですが、これは薄べったい人形の背中を支えている棒が下に出ている、というもののようでした。

馬場家住宅 松本押絵雛(長野県松本市)


眺めていると、見慣れている雛人形より、この押絵雛の方が珍しくて価値があるように思えてきます。

人形に仕立てる必要がないからなのか、絵画のように人の動作が自由です。

それに、雛段に飾らないで、掛け軸や壁に人形を配置したら、家の中のスペース稼ぎになるではないですか?

都市住宅に向いていますよ~♪

でも、田舎の昔の家では、ひな壇は場所をとりすぎると問題になるこということはなかったでしょうね...。



数年前、ひな祭りの時期に九州の温泉に入ったら、湯上りの休憩室に雛壇が飾ってあって喜んだことがありました。

私はこんな風に飾ってもらったことがなかったので...。

 
この写真を入れた日記:
日本滞在記 : 温泉 2007/11/14


あと1か月ちょっとで雛祭り。
もうすぐ春なのですね...。



外部リンク:
雛人形の歴史

【押絵雛について】
押絵雛展
松本押絵雛を守り伝える(ベラミ人形店)
松本押絵雛



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2013/01/21

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その1


偶然ってあるものなのですね。

少し前に「ブルゴーニュにあるメンヒル 」と題して日記を書いたら、長野にある道祖神のことをコメントで入れていただいて、どんなものか見てみたいな... と思っていたら、本当に見ることができたのです♪

しかも、少し変わった道祖神でした。


芦ノ尻の道祖神



ワラでできた大きな顔。

1998年に長野で開催された冬季オリンピックでは、開会式のパフォーマンスにこの道祖神が登場して有名になったようです。

当時のビデオを見たら、記憶が戻ってきました。



フランスの友達に「長野に行く」と言うと、「冬季オリンピックが開かれたところね」という返事が返ってくるのです。オープニング・セレモニーにインパクトがあったから記憶に残っているのかな?...


気になったのは目と鼻と口の形

お正月の松飾りに使われた注連縄(しめなわ、って、こんな感じを書くのですね)を1月7日に持ち寄り、それで1.5メートルの高さがある石碑を芯にして顔を作るのだそうです。

次の年まで飾っておくので、目鼻が歪んでしまったら整えたりして1年間飾り、新しい年になったら、また作り直す。前の年のを取り外してから出来上がるまで、2時間くらいとのこと。

正月飾りを小正月に燃す伝統が各地にあり、九州でそれを見たことがありました。ここのは1年飾っておいて、それから燃すのですね。

この風習が始まったのは明治の初めとのこと。誰かが、いたずら心でアイディアを思いついたのではないでしょうか? なんとも愛嬌のあるお顔です。



右手にある四角いものは酒樽なのだそう。

眉毛や髭は、正月の飾りものを使ったと分かるのですが、丸い部分が気になりました。

地元の人に聞いてみたら、飾り物に器があるので、それを使っているとのこと。頭の部分は、それをほぐして広げているとの説明。

目や鼻の部分を広げれば帽子の形になるというのは分かるのですが、お正月の飾りに丸い器にしたものがあるというのが、私にはピンときません。

気になったので、「正月 飾り しめ縄」をキーワードにして検索したのですが、それらしき物が出てこない。

それで、キーワードを「しめ縄」から「藁」に代えてみたら、しめ、しめ!、出てきました♪

この道祖神がある集落の農家が、わら細工名人のおじいさんたちに作り方を教えてもらったという報告のブログ。それなら、本物です♪
☆ 農楽里ファーム: わら細工

コヤスというものと、オオヤスというものがあるのだそう。

オオヤスと呼ばれるものの形を見ると、これが道祖神で利用されているように見えました。この形だと、丸くしたまま使ったり、伸ばしたりして道祖神の顔ができますね。

気になってしまったので調べまくったのですが、努力の甲斐がありました♪ 名称が分かったら、あとは調べられます!

正月の飾りとしてお供えを入れる器で、今でも信州では各地で使われているもののようでした。飛騨高山の記録にもあったけれど、今は消滅しているような感じがある。


道祖神たちが見ていた景色

道祖神の裏側に回って、彼らが眺めている景色がどんななのかを見てみました。



山並みは北アルプス?
村人たちは、こんな眺めの良いところに道祖神を並べてあげたのですね...。なんだか、しんみりしてしまいます。


気に入ったので、もう2つ動画を入れておきます。







情報(外部リンク):
芦ノ尻の道祖神祭り ユニークな顔をしたムラの守護神
芦ノ尻の道祖神
☆ 民俗語彙データベース: オヤス
☆ 松本市立博物館 オヤス
オヤス
☆ Wikipédia: Dōsojin
☆ Wikipedia: 左義長



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2012/07/17
信州に行ったのですが、あいにく曇天。雪をいただく高い山は見ることができませんでしたが、東京の蒸し暑さが身につまされてきたところだったので、息がつけた思いしました。

蓼科高原にとった宿で、雨が降らないときに近くを散歩してみたら、色々な花を見つけました。

まだ山に花が咲くシーズンではないかったらしく、お花畑というほどには咲いていませんでした。でも、どこを旅行しても野生の花を見るのが好きな私は大満足。

子どものころ植物採集をしていて覚えた花に久しぶりに出会いました♪



ホタルブクロですね。
よく似た花はフランスにもあるのですが、これと同じのは咲いていないのです。

フランスで見慣れている雑草と同じのもたくさんありました。でも、違う! ここのは大きくて立派なのです。土が良いのだろうな...。雨もたくさん降るのだろうし...。

下は、珍しいので喜んだオダマキの花。



フランスでも森の道に沿ってどっさりと咲いている花なのですが、フランスで見るのは、少し紫がかった青い花ばかりなのです。この淡~いクリーム色が、何ともいえなく美しいと思いました。

庭で毎年生えてくるオダマキが交配して、色々な形や色になったのを、昨年は日記にしていました。

西洋オダマキは尻軽花だった 2011/05/19



でも、これだけ異なった色ができていながら、黄色いのがないのは寂しいと気がつきました。園芸店ではこういう色のを売っていたように思います。

それで探してみたのですが、同じのは見つからなかった...。
オダマキを楽天市場で検索

それにしても不思議だったのは、このオダマキの淡い色。フランスのアルプスで見た高山植物は、驚くほど鮮やかな色をしているのが印象的だったからです。

日の光をけなげなほどに浴びようと頑張っているのだろうな、と思ったのですが、そうとも限らないのかな?... あるいは、もっと高いところまで登ったところに咲く高山植物がそうなのかな?...

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2012/07/13

シリーズ記事 【わらぶき屋根のアイリスの花を見て】 目次へ
その10


先日、信州に行ったとき、復元した竪穴式住居を見ました。


大庭遺跡

竪穴式住居というのは名前では聞いていましたが、こんな立派な家屋は想像していませんでした。

茅葺き屋根の美しいこと...。
縄文時代に、すでにこんな立派な家を建てられたのですか...。

入口から入って中も見ることができたのですが、座敷(?)には少し降りていくのでした。だから、「たて穴」と呼ぶわけですか。

でも、雨が降ったら、家の中に水が入ってきてしまうだろうと心配になりますよね?

そういう疑問は誰でも持つらしくて、インターネットでは解答が書かれていました。

穴を掘った土で作った土手が家の周りにあるし、屋根は土手の外側に伸びていたので大丈夫らしい。さらに、水抜きの溝も設けられていたようです。

分かりやすく説明してくれているサイトがありました:
☆ 群馬県埋蔵文化財調査事業団: たて穴式住居ってどんな家?

私が見た竪穴式住居には盛り土は見えなかったのですが、遺跡を復興したときにそれをしなかっただけなのかもしれない...。

屋根のお話しはここで終わりにしようと思ったのですが、コメントをいただいて屋根の謎が解けていくのが面白くて、さらにつづけました。

続き: フランスの伝統的な屋根は、簡単な下地づくりだった

情報(外部リンク):
大庭遺跡 (立科町公式サイト)
大庭(おおば)遺跡
大庭遺跡に行ってきました!  ★立科町
竪穴式住居
竪穴式住居のナゾ



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2012/04/20

シリーズ記事 【スペイン、パラドール巡り旅行】 目次へ
その31: スペイン


カルモナのパラドールがスペイン最後の宿でした。出発の朝は曇天。夜中にたくさん雨が降ったのですが、荷物を車に入れるときは雨に降られないですみました。スペインの明るい日差しが名残惜しいなんて思わなくて良いから、幸いだったかもしれない。

スペイン語がゴチャゴチャになった友人が、ホテルのフロントの人に別れを告げるとき、「ブエナス ノーチェス」なんて挨拶するので大笑い。でも、外は薄暗かったので、「おやすみなさい」と挨拶したいような朝だったのです。


スペインでのお買い物

フランスに比べて、スペインの物価は安い。それで、スペインからフランスに入る前には買い物をすることになっていました。

高速道路を降りてすぐのところに、そういうフランス人のために大きなスーパーマーケットがあります。



スペインに限ったことではなくて、関税が安い国など、フランスの国境近くにこんな店があるのをヨーロッパの他の国でも見たことがありました。欲しいものが品切れなどということはないのだろうと思う、みごとな品ぞろえです。

というか、フランス人が買いたがるものを置いています。ここでは、関税が高いものやスペイン特産品だけではなくて、普通の洗剤、日常的な食品、調理道具までありました。徹底している!

友人たちは、フランスの半額でアルコール飲料やタバコが買えるのだと言っていましたが、半額はオーバーではないかな...。でも、何でも2割や3割は安いのは確実。

店内で聞こえてくるのはフランス語ばかり。みんなカートいっぱいの買い物をしていました。



来客が多い友人夫妻は、おびただしいほどアルコール飲料を買っていました。ただし、ワインはブルゴーニュで買えるので皆無。

車のトランクにギューギューに詰め込むと、さすがに大型車なので入ってしまったので感心しました。でも、バックの窓はすっかり隠れてしまって、そこから食べ物が色々見えるので、何とも美しくない! みんなで大笑いしました。

少し心配になった私。国境で税関チェックを受けるはめにならないように、布でも広げてアルコール飲料は隠した方が良いのではないの、と言いました。でも、大量にフランスに運ぶ密輸入をするトラックでもない限り、検査を受けることになるはずはないとの返事。

フランスの関税が高いのがいけないのであって、税関で何か言われたら、僕は喧嘩するよ、と友人が言います。

国境ではチェックされることもなく、何事もなく通過しました。思い出せば、EU圏内での物資の流通は自由というのが規定だった...。


旅行も楽しいけれど、住み慣れた家に帰れるのは嬉しい

車を運転する人が疲れたらフランスに入ったところで1泊しよう、ということになっていたのですが、一気にブルゴーニュに戻ってしまうことになりました。走行距離は1,000キロくらいになるはずでしたが。

馬小屋に近づくと、馬は早足になる、という表現がフランス語にはあります。

運転していた友人は、まさに、その姿。お家に帰れるというのが励みになったらしく、スペインを出てからブルゴーニュまで元気に運転していました。

アンダルシアに向かうときは、走行距離が同じように1,000キロくらいになる日があり、心配する奥さんが度々「大丈夫?」と声をかけると、「今のところは大丈夫」などと頼りない返事をしていたのとは大違い!

ブルゴーニュには夕方に到着したのですが、「このままパリまで行けるくらい元気だよ♪」などと言っていました。

友人宅に事情があって居候生活をしていた長男が、私たちのためにご馳走を用意してくれていました。 車に乗っていただけでも疲れていたので、何も食べないで寝てしまうところだったのですが、せっかくの心遣いを断るのは失礼になるので、お呼ばれしました。

車を運転してくれた友人は、数年前に心臓発作で命を落としそうになったこともあったので、アンダルシアに行くまでの行程が厳しかったときには心配したりもしたのですが、無事に旅行を終えることができて良かった。

10日間という短い旅行で5,500キロを走破してくれた友人に感謝!

長々とスペイン旅行記を書いてしまいましたが、今回で終わりにします。

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2012/04/19

シリーズ記事 【スペイン、パラドール巡り旅行】 目次へ
その29: Baeza


前回の日記「謎解きを続けながらした春のスペイン旅行」に書いたように、今回のスペイン旅行では、開始当初から、これは何だろう? というものに出会いました。

謎のほとんどが解けたのは(全部は解けていません)、ミサを見たウベダを後にして次の目的地に向かう途中でバエサという小さな町に立ち寄ってみたときです。

バエサ(Baeza)は 「ルネサンス様式の記念碑的建造物群」として、ウベダとともに世界遺産に登録されているそうなので、観光する価値がある町らしい。しかもウベダからは近いので、遠回りで時間のロスをしてしまうほどにはならない。

それなら、ちょっとバエサに寄ってみよう、ということだけで行ったのです。

車を駐車できる場所を探していたら、町が賑やかなのに気がつきました。

お祭りをしているらしい! ♪

ウベダの町で行われていた教会のミサで、この日は復活祭(イースター)の1週間前の日曜日で、聖枝祭だったことに気がついていました。

ですから、バエサで行われているのも、この祭りに違いない!
 
車を飛び下りて、人だかりのする方に早足で向かいました。


◆ バエサの町で聖枝祭の行列に出会う

追いつくことができました♪

フランス語では procession と呼ばれる、宗教上の行列です。
礼拝行進と訳せばよいのか?... 結婚や葬式の行列は cortège と呼ぶので区別しなければいけない。


クイズに入れた写真 No.7

切ない気分にさせられる音楽が流れていて、お香が薫っています。その雰囲気だけで動揺してしまって、むせび泣きしたい気分になりました...。 

盛装して杖をついている4人の女性の役割は何だか分かりません。お分かりになる方がいらしたら教えていただきたいのですが、スペイン旅行記を書き始める前に出したクイズにも解答が出てきていないので無理かな...。

祭りに参加して行進している人たちは、先日の日記「クイズにした写真 No.2、No.3、No.6 : ウベダで見たもの」に書いた教会のミサで、みんなが持っていた棒を持っています。 子ども用のものは、大人用のより小さくできています。

子どもたちが参加しているだけではなく、乳母車を押した人たちまで参加しての行列でした。

本物のお祭りが好き。こういう、地域住民が自分たちのためにする祭りは本物だと思います。フランスでは殆ど消滅してしまった伝統です...。



棒は、揺らぐとシュロかヤシの葉のように見えてきます。


悔悛者たちのパレード

三角の帽子で、目しか出していない人たちが行進していました。

ゆっくり、ゆっくり進みます。



西洋のお化けって、こんな姿ではなかったでしたっけ?...

「どうして、こういう服装なの?」と聞いたら、フランス語で pénitent(悔悛者)、つまり贖罪のために苦行をする人の服装がこうと決まっているのだ、と友人が説明してくれました。

教会の中でもないのに、お香がただよっている... と感じたのですが、お香を巻いている子どもがいたのでした。



大事な役割を担ったからでしょう。喜んで振りまいていました。ときどき役割は交代するのかな? そうでないと、この子はむせてしまうはず...。


伝統的な山車

キリスト教の祭りの場合は「だし」とは呼ばないかもしれませんが...。

これが、あちこちで訪れた教会の中に幾つも飾られているのを見てきていました。聖週間の間、毎日、違う山車を出してパレードするそうなので、一つの教会に幾つもあったのでした。

バエサの山車の数々...


キリスト教に関係する色々な場面が山車になっていました。

この日のパレードに出てきたのは2つ。飾り立てられたマリア像。それから、ロバに乗ったキリストに従って旅をしている聖母子や弟子たちの場面。

アルハンブラ宮殿の敷地内にあるホテルに戻った夜中に、人だかりがあるのに出会ったのですが、これは山車を動かす予行練習をした後だったのだろうと思いました。

山車は2トンくらいの重さがあって、それを数十人で担いでいるのだそう。
 
それで行進は、ほとんど足踏みしているかに見えるリズムで進むのでした。


クイズに入れた写真 No.8

はだしで担ぐのが本当の悔悛者なのだそうです。昔は全員がはだしだったのでしょうが、さすが現代なので、はだしの人は「混じっている」という程度でした。

山車を担ぐ人たちの顔の部分は網になっているので外が見えるはずですが、それでは十分ではないらしく、誘導する係りの人もいました。下手にやったら大怪我をしてしまうからでしょうね...。

勾配になっているところを上りきったときには、集まっていた人たちから拍手がおこり、見ている人たちが山車を担ぐ人たちを応援しているのが分かります。

楽団の方は何組もいて、色々な音楽を流していました。 キリストの苦痛を思わせるような切ない音楽。それから、山車を担ぐ人たちを勇気づけるような音楽...。

音楽に合わせて山車はパレードします。ついつい足に注目してしまう私。うまく呼吸があっていて、足踏みをしたり、時にはバックしたりもしていました。

担ぎ手たちの力が尽きてしまいような場面では、休憩もありました。



この山車が聖枝祭の場面の山車なのでしょうね。 ロバに乗ったキリスト、その後ろにキリストを抱いたマリア、そして弟子たち。聖枝祭は、イエス・キリストがロバに乗ってエルサレムに入城したのを記念する日なのだそうです。

それをエルサレムの人々は、ヤシの葉か何かを振って歓迎したのだそう。それで、枝をミサで清めるという風習になっていてる。キリストが人々から歓迎されずに無視されたら、やっかみから処刑されることがなかっただろうにと思ってしまいますが、これが歩む道だったのでしょうね...。

山車は、坂道を上がる小高い場所にある教会まで運びあげていきました。ここの教会に入るには階段があるので、 入口でストップとなりました。

役割を終えて出てきた人たちを見ると、全員がラグビー選手のように頑丈な体の男性ばかり。腹巻をして腰を支えています。大変な重さを担うのでしょうね...。


セヴィリアの町では特に盛大なパレードが行われるので、大変な混雑になるのだそうです。小さな町で見られて良かった。ゆっくりと進むパレードを追い越したり、ゆっくりと進む行進の合間をぬって教会の中を見学したりもできました。

集まっていたのは近くの住民のたちだろうと思える人たちばかりだったので、人々が聖週間を祝う雰囲気を味わうこともできました。

聖週間のイベントの雰囲気を見せる動画を入れようと思って探したら、大規模なセヴィリアの行列がたくさんでてきました。でも、人ごみでよく見えません。

それで、やはりバルサのものを入れておきます。今年2012年の撮影のようです。




バエサは世界遺産に指定されている町なので立ち寄ったわけですが、聖枝祭のパレードに出会うことができたので大満足。礼拝行進の途中からだったのですが、2時間余り見学しました。

スペイン旅行は今回で4回目。友人たちが行きたいというのでパラドールと呼ばれるホテルに泊まることを目的にした旅行でした。でも、私が最高に感激したのは、聖週間の祭りを見ることができたことだったと思います。

― スペイン旅行記の続きへ ―

ブログ内の関連記事:
目次: フランスの祭日・年中行事について書いた日記

情報リンク
スペイン・セビリアの聖週間
セマナ・サンタ スペインの聖週間、Semana santa
☆ Wikipedia: 聖枝祭


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2012/04/19

シリーズ記事 【スペイン、パラドール巡り旅行】 目次へ
その28: スペイン


スペインで2泊目に泊まったホテル(マラガ・ヒブラルファロのパラドール)の部屋で休んでいたら、丘の下にある町から鼓笛隊の音楽が聞こえてきました。

これが、この時期のスペインではイベントが行われることを思い出した発端でした。鼓笛隊の音楽は、そのイベントの準備なのだろうと想像したのです。

その後に立ち寄った町々では、普通では見られないと思えるものを見ました。フランスでも存在するイベントのはずなのですが、見かけるものがフランスのとは全く違う。 あのイベントに関係するのだろうか、と思いながら、気になってしかたありませんでした。

気になったものを写真に収めながら旅をしたので、その中から選んで、スペイン旅行記を書き始める前にクイズとして入れていました。
クイズ: スペインで見たもの 2012/04/03

クイズとしては8枚の写真を入れただけにしました。でも、私にとっては、なぜ?...、これは...?というものを色々と見る旅行となったのです。


これは祭りに関係するの?

まず、イスラム教とキリスト教が融合したコルドバの大聖堂に行ったとき、片隅の床に置いてあったものが気になりました。


コルドバの観光 2012/04/09

イベントに使うものの準備だろうかと思って眺めていたら、一緒にいた友人から「工事に使うのだろう」と、そっけなく言われました。

そうなのかな?...
私の謎解きは、このときから始まりました。

これが何であったのかという謎は解けていません。でも、後で見ることになった棒を作る材料ではないかと思うのです。そう考えると、長いものと、短いものがある理由も納得できます。

皆が持っていた棒は、木を裂いたもので、それが開くとヤシかソテツの葉のように見えるようになっていました。

でも、もしもコルドバで見たものが棒の材料なのだとしたら、細いものを集めて棒のようにしていたのかもしれない。また、これは板を裂いた薄い板ではなくて、本物ヤシの葉だったのかもしれない...。この謎は最後まで解けませんでした。


コルドバの教会で不思議なものを見たあと、これが祭りには何も関係しないとしても、あちこちの町の窓には布の飾りがあるのが気になりました。

何かやっていますよ...!


クイズにした写真No.4 : これは何の飾り? 2012/04/10

この町で泊まったホテルで見た飾りも、イベントに関係しているように見えました。


クイズにした写真 No.2とNo.4 : これは何の飾り? 2012/04/10

こういうのをフランスでは見たことがなかったのですが、コルドバの大聖堂の片隅に積んであったものを編んだら、こんな風になるのではないかとも思ったのです。

旅を続けているうちに、だんだんと謎が解けてきました...。


謎が解けた♪

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