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2018/01/25
写真アルバムを整理していたら、友人がレジオンドヌール勲章をもらうセレモニーに行ったときの写真が出てきました。10年以上前のことでした。

パリ市庁舎でのセレモニー

レジオンドヌール勲章の叙勲式というのは、いつ、どこで行われるのかは定まっていないような気がしました。でも、勲章というのには私は興味はないので、どういうシステムになっているのかは調べていません。

私が招待された叙勲式は、1月中旬に、パリ市庁舎で行われていました。

Hôtel de ville de Paris

パリ市庁舎は、19世紀後半におこったパリ・コミューン革命の時に火をつけられ、建物の骨組みだけ残る程度に全焼した再建されたものです。パリ市のど真ん中にあるし、目立つ大きな建物なのですが、いかにも19世紀の建築物らしい派手さがあって、私は好きではありませんでした。でも、レセプション・ルームが立派だったのには驚きました。

会場にいた市役所の係の人と話したら、私たちのセレモニーが行われていたときには、他の3つのレセプション会場でも何かセレモニーが行われているのだと言われました。

叙勲式の後は、カクテルパーティーになったのですが、用意されていた食べ物がおいしかったです。それを覚えているのは、この日の昼には、セレモニーに一緒に行く友人と美味しいレストランに行って、たらふく食べてしまったために、パリ市が用意したものをほとんど味わうことができなかったのが残念だったから!



レジオンドヌールをもらった私の友人は学者さんなので、招待されていた彼の友人や知人は気取らない人ばかりでしたし、この時に叙勲式をとりしきったパリ市長さんもリラックスした人だったので、和気藹々として楽しい雰囲気でした。こういう時には、日本ではやたらに儀式ばるだろうな...、と思った。

それにしても、パリ市庁舎が立派なのは印象的でした。友人の奥さんも私もリラックスした服装が好きなのですが、この日もは二人とも、スーツを来て、少しヒールのある靴を履いて正装。それで、セレモニーが終わって引き上げるときには、大きな階段がツルツルして滑りそうなので、私たちは階段の手すりにつかまって歩いた、というのも楽しい思い出でした。


レジオンドヌール勲章は、戦争との結びつきを感じさせる

フランスにある勲章の中では最も価値が高く、外国でも有名です。日本では「レジオンドヌール勲章」と表記するのが一般的なようでした。フランスでの正式名称は「Ordre national de la Légion d'honneur」。

「レジオン・ドヌール」と単語の区切りを入れるべき単語なのに、どうして続けて「レジオンドヌール」にしたのか、私にはわからない...。

切れているのだと受け取ったとしても、「ドヌール」と言われたら、何のことかと思ってしまうではないですか? フランス語を知っていても、それが「honneur(名誉)」のカタカナ表記だとは連想できないですよ。

Légion d'honneur(レジオン・ドヌール)を訳すとしたら、「名誉軍団」?

この勲章の授与は皇帝ナポレオン1世が創設したもので、戦いで活躍した兵士に与えらえる勲章でした。現代では軍隊との結びつきは薄いイメージがあると思いますけれど、発祥を考えたら文化人にも与えているというのは変なのですよね。

1804年、ナポレオンによる初のレジオンドヌール勲章授与の様子を描いた絵画です。

Premiere distribution des decorations de la Legion d'honneur
Première remise de décorations de la Légion d’honneur par le Premier Consul Bonaparte, le 15 juillet 1804, d’après le peintre Jean-Baptiste Debret

このセレモニーは7月15日だったとあるので、フランス革命記念日の翌日ですね。


レジオンドヌール勲章には5等級ある

この勲章には、全部で5つのランクがあります。最上級は、現代では大統領にでもならないといただけないらしいです。順番にいただいて等級を登るのが普通らしいので、下から始めます。

まず、Gradeと呼ばれる等級:
生存している受勲者数
(2010年現在)

5等 シュヴァリエ
Chevalier(騎士)
74,384人

4等 オフィシエ
Officier(将校)
17,032人

3等 コマンドゥール
Commandeur(司令官)
3,009人



その上に、Dignitéと呼ばれる等級があります:

2等 グラントフィシエ
Grand officier(大将校)
314人

1等 グランクロワ
Grand'croix(大十字)
67人

生存受勲者合計:  94,806人

フランス語の名称を見たら、これは軍人に与えられる勲章だとしか思えないですよね?

レジオンドヌール勲章を受勲したと言っても、たいていはシュヴァリエで、せいぜいオフィシエでしょうね。2010年の生存受勲者の数でいえば、この2つの等級を持っている人が全体の96%を占めていることになります。


赤いリボンのルーツ

ところで、赤いリボンは、17世紀にルイ14世によって設けられた「聖ルイ勲章(Ordre royal et militaire de Saint-Louis)」の名残なのだそうです。

 Order of Saint Louis

フランス革命をやった後に作られた勲章なのに、王政時代にあった勲章を真似ているのって、変ではないですか。



la Légion d'Honneur


受勲を喜ぶ人もいれば、拒否する人もいる

レジオンドヌール勲章ができてから今日に至るまでの間、叙勲者の総数は100万人。そのうち現在生きている人は9万人余り。今日では、毎年3,000人くらいが受勲していて、受勲者の3分の1は軍人で、残りが一般人と言う感じなのだそうです。

この勲章を軍隊の人がもらうのには全く抵抗がないでしょうが、そうでない有名人の中には拒否する人たちはかなりいました。フランスでは、誰それにレジオンドヌールが与えられたというニュースより、拒否した方が英雄として大きく報道されるのではないかという気もします。

例えば、ずいぶん昔のことですが、大きく報じられたのは哲学者のジャン=ポール・サルトル。彼はノーベル賞も辞退していました。信条があったら勲章はもらいたくないと主張するのは当然、という気もする。私もやってみたいけれど、ノミネートされなかったらできない!

最近では、ベストセラーになった『21世紀の資本』著者の経済学者のトマ・ピケティが受勲を拒否していました。

「だれに名誉を与えるか決めることは政府の役割ではない」、「政府はフランスとヨーロッパの経済回復に専念した方がよい」というのが彼の理由で、つまり現政権をも批判したのでした。

レジオンドヌールは、立候補して与えられるものではありません。

では、拒否することができるのか、という問題があります。候補になったら普通は本人に事前に知らせられるので、避けることはできるような感じはしました。でも、叙勲者の名前が官報で公開された後には拒否できないのだそう。

トマ・ピケティの場合は、なぜか事前に知らされなかったようです。彼は叙勲したくないと拒否はしたのですけれど、レジオンドヌール勲章のオルドル(騎士団)である叙勲者団体には名前が連ねられているそうです。完全に名前を入れないようにと拒否しようとすると手続きが大変らしいのですが、作曲家のモーリス・ラヴェルはそれをしたとのこと。


日本人も、かなり叙勲している

約700人の日本人が、レジオンドヌールを叙勲しているそうです。

レジオンドヌール勲章を与えられた外国人の中で、日本人は1割を占めているという記事があったのですが、そんなにたくさんいるのでしょうか? 在日フランス大使館のサイトに、ここ数年の日本人の叙勲者の名前が書かれていたので眺めたのですが、多い年では10人を超していました。そんなにいるとは少し驚き...。

追記(2018年2月)
毎年、3,000人くらいのフランス人がレジオンドヌール勲章を受勲していて、外国人の受勲者は約400人いるとのこと。日本人の受勲者が1割を占めるとしたら、毎年40人くらいの日本人が受勲していることになります。

フランス人受勲者は、レジオンドヌール騎士団とでもいうべきOrdre national de la Légion d'honneurという団体のメンバーになりますが、外国人はそのメンバーにはならないそうです。名誉が欲しい人には残念なことでしょうね。

また、外国人の場合は、受勲式をオーガナイズしなくても良いとのことでした。

ところで、レジオンドヌール勲章は、下の等級から順に与えられて昇格していきます。与えられるにあたっては、勤続年数と等級間の年数に決まりがあるのですが、外国人の場合は、この選考基準は例外とされるとのこと。

外国人に与えらえる場合は、グランクロワは国家元首、グラントフィシエは首相クラス、コマンドゥールは大臣クラスが主な対象になるので、叙勲者数は極めて限られます。シュヴァリエ、オフィシエ、コマンドゥールが与えられる日本人は、日仏間の経済や文化交流の発展への功労者などが理由になるようです。

日本人がレジオンドヌール勲章をくれると言われたら、名誉だと思って、拒否はしないのではないでしょうか?

経済界の大物たちと付き合いが多い日本の友人は、あるとき私に言いました。レジオンドヌール勲章をもらえるなら大金を払うという日本人が多いので、叙勲を進める仕事をしたら儲かるよ、と。

フランス政府を喜ばせるような大金の寄付をするとか何とかして、勲章を与えるのに力がある人にコンタクトするとか、方法はあるのではないかという気もします。ノーベル賞だって。裏側は何か怪しげですから。でも、そういう仕事をして金儲けはしたくないですよ~。

フランスと同じように受勲を拒否した日本人がいたのかなと調べてみたら、面白いことを発見。

作家の大江健三郎は、文化勲章を拒否していました。「私は、戦後民主主義者であり、民主主義に勝る権威と価値観を認めない」というのが理由。これは、レジオンドヌールを拒否したフランスの芸術家や学者たちと同じような言い方ですね。

ところが、大江健三郎は、ノーベル賞も、レジオンドヌール勲章も、もらっていたのでした。つまり、外国からいただく分には抵抗がない?

しかも、フランス政府が彼にレジオンドヌール勲章を与えたのは、当時フランスの核実験に反対の姿勢をとっていたことを宥めようという下心があったらしいのです。そういう受勲をフランスでやっていたら、面白いニュースだとしてマスコミから叩かれたのではないかな...。

日本人は外国人から認めてもらうのが好きなのだ、というのを感じるエピソードでもありました。もっと自信をもってもらいたい...。


フランスらしいと思った演出

友人がレジオンドヌール勲章をもらうからとセレモニーに招待された時は、彼の学者としての仕事に対する功績なのだろうと思ったのでしたが、実際には彼が戦時中にしたレジスタンス活動に対する功績ということになっていました。この勲章の性格からいって、それなら友人が抵抗せずに受けたのも分かる気がする。

レセプション会場に行ってみると、友人の首に付けるらしき勲章が飾ってありました。



ビロードのクッションの上に置かれた勲章。とてもフランス的なセンスの良さを感じた演出でした。お花を添えていますが、こういう風に寝かせてしまうのも面白い。花瓶に花を活けているよりバランスがとれるかな...。

クッションの横に、勲章を与えるという文書がありました。友人が誰だったのかを勝手に公開するのは気が引けるので、書いてある文字はぼかしています。

このセレモニーに行ったときには、受勲した友人夫妻とのおしゃべりの中で、面白い話をたくさん聞きました。例えば、叙勲式が1週間前に迫ったとき、勲章がないことに気がついた、というお話し。結婚式のための結婚指輪がなかったというのと同じ?

それを続きで書きました:
レジオンドヌール勲章をもらうメリットは?

外部リンク:
Grande chancellerie de la Légion d'honneur
Wikipedia: Ordre national de la Légion d'honneur » レジオンドヌール勲章
在日フランス大使館: フランスの勲章 | 叙勲 | レジオン・ドヌール勲章
Weblio辞書: レジオンドヌール勲章 - 勲章の拒否
レジオンドヌール勲章への叙勲を拒否したフランス人経済学者
仏レジオン・ドヌール勲章 外国人叙勲の1割が日本人の事実
本当のことを言おうか:勲章の話
La grande chancellerie: La légion d'honneur en 10 questions
Le Monde: La Légion d'honneur en 5 questions
☆ L'histoire par l'image: Création de la Légion d'honneur

内部リンク:
ちょっと怖いな... 最近の日本礼賛ブーム 2015/03/01



Musées - La Légion d’honneur en son Palais


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2018/01/15
何度聞いても覚えられない単語と、一度聞いただけで覚えてしまう単語があります。すぐに覚えてしまうのは、その発音でよく知っている単語があるときが多いように思います。

例えば、教会でたまに見かけることがある「リットルlitre)」というのがあるのですが、この専門用語を記憶しておこうと思うまでもなく覚えました。

計量単位の「リットル」と同じ発音で、スペルも同じなのです。フランス語だというだけではなく、日本語でもリットルというのですから覚えやすい。

ただし、フランス語で「1リットル」というときの「リットル」は男性名詞ですが、教会にあるリットルは女性名詞という違いはあります。同じ発音ながらも2つの意味で使われる単語なわけですが、後者の方はラテン語の「lista(縁取り)」から来ているそうなので、語源は違うのでしょうね。


◆ 「リットルlitre)」と呼ばれる葬儀の黒い帯

フランス革命が起きる前のフランスでは、貴族などの名士の葬儀が教会で行われるとき、その人の紋章を入れた黒い帯状の布を張ったり、教会の壁に黒い帯を描いていました。

そういう帯を「litre(リットル)」と呼ぶそうです。

Wikipediaに入っている画像をお借りすると、こんな感じ。

Poullignac 16 Litre funéraire 2012.jpg
Église Saint-Martin de Poullignac


葬儀のときの演出です。悲しいことは黒で表現するのは万国共通なのでしょうね。日本でも、葬儀の時には黒い垂れ幕ではなかったでしたっけ?

... と思ったのですが、日本は黒と白の組み合わせでしたね。幾つか呼び名があるようですが、「鯨幕(くじらまく)」と呼ぶのだそう。そんな単語を私は使ったことがなかった...。



日本では弔事には白色を使う習わしだったのだそう。それなのに黒い色に弔辞のイメージが強くなったのは、西洋文化の影響からだという記述がありました。

喪服が黒と決まっているのも、同じ経緯を辿ったようです。そんなに古来から習慣が変えられてしまうものかな?... 喪服が白だと不便だったからという説明もありました。第二次世界大戦で葬儀が多くなったら、喪服を着る機会も増えて、そうなると白だと汚れが目立ってしまうので黒が好まれたとか。それだと何となく納得します。


話しをリットルに戻します。

この紋章が入った黒い帯は、外側にも描かれることがあったのだそう。


Église Saint-Joseph d'Escoire

リットルは教会内部で見ることが多いのですが、建物の外だと保存されていることが少ないからでしょう。修復したら壁に描かれていたのが出てきた、ということも多いようです。葬儀が終わったら、壁にフレスコ画のように描いた黒幕は残しておかないで、上から漆喰でも塗っていたのではないかと思う。

リットルという呼び名を教えてもらったのは、ずいぶん前のことでした。歴史の先生をしていた友人がブルゴーニュにある教会に残っていたリットルを見せに連れていってくれたのです。

今でもリットルが見れるのは非常に珍しいのだと言われたのですが、その後に教会に入ると、時々見かけています。でも、たまに、という程度でしょうね。


エクアンの教会

ルネサンス美術館となっているエクアン城を見学したときのことを書きましたが(ルネサンス美術館となっているエクアン城)、その後には、高台にある城から見えた教会にも行ってみました。ついでに行ってみただけなのですが、なかなか見どころのある教会なのでした。



教会の名前はÉglise Saint-Acceul。Saintと付いているので、Acceulという聖人を祭った教会なのでしょうが、Acceulという名前の聖人がいたとは知らなかった。綴りは「accueil(もてなし)」と似ているから、なんとなく奇妙。この聖人を祭っているのは、フランスでもエクアンしかないようです。

エクアン市のツーリストオフィスのサイトに、この教会の内部を見れる3D(と呼ぶのかな?)の画像が入っていました:
☆ 教会の内部のヴァーチャル・ヴィジット

こういうのをインターネットに入れてくれていると良いですね。写真を撮っただけだと、どういう風につながっているのか分からなくて、年月がたつと、どんなだったかを忘れてしまうので。


エクアンの教会に残っているリットル

私がエクアンの教会に入ったとき、真っ先に目に飛び込んできたのはリットルという黒い帯状の壁画でした。リットルの保存状態がかなり良いので、よく見えたわけなのですが、修復して残したようでした。










ここのリットルが気になったのは、私には馴染みのあるコンデ公の紋章だったからでした。



百合の花が3つのフランス王家の紋章の中央に、右下がりの赤い線が入っているので見分けられます。プリンスの血筋を持つブルボン家の家系。

でも、歴史上でコンデ公は何人もいました。どのコンデ公の葬儀だったのか?

調べてみると、フロンドの乱で名前が登場する有名な大コンデ(ルイ2世)の息子で、1696年にエクアン城を相続したHenri-Jules de Bourbon-Condé(アンリ3世 1643~1709年)だったそうです。




でも、コンデ家のお気に入りの城はシャンティーイ城だったはずなので、エクアンでコンデ公の葬儀が行われたとは考えられない。おそらく、城主様が亡くなったので、エクアンの教会でもミサをあげた、ということではないかな...。


ステンドグラスが美しい

16世紀前半、アンヌ・ド・モンモランシー大元帥((1493~1567年)はエクアン城を建築したのですが、それと同じ時期に教会も建てられたのだそう。

フランス革命で破壊されなかったステンドグラスが見事でした。最も古いものは1544年に制作されたと記されていました。

モモランシーの家族も描かれています。

下の右側で跪いているのが大元帥。



奥様のマドレーヌ・ド・サヴォワは、別の窓に描かれてしました。




別のステンドグラスに、何か奇妙なものが見えました。足元のところにあったのですが、何なのだろう?...




下は時代が下って18世紀のステンドグラスのようです。



コンデ家が教会の修復と建築を引き継いでからは、モモランシー時代のように貴重な建材は使わなかったとあったのですが、これも手抜きかな。中央部分はシンプル。でも、縁取りがとても美しいと私は思いました。





洗礼盤の彫刻も見事。


Fonts baptismaux

信者の人らしきボランティアの方が説明をしてくれたので、いつの時代のものか教えていただいたのだろうと思いますが、忘れてしまった...。

教会の見学を済ませると、近くにあるツーリストオフィスの庭でカフェをしていると教えられたので行ってみました。宣伝などはしていないので、教えてもらわなかったら見つけられなかったと思う。観光地なのに飲食店が少ないエクアンの町なので、住民の人たちが開いているようです。

私たちがジュースを飲んでいると、教会を案内してくださった男性が来たので、お礼になると思って誘いました。アルコール飲料を出す許可はとっていないカフェらしく、メニューにはジュースやお茶程度しかなかったのですが、彼はパナシェを飲むと言います。

パナシェを注文すると、お給仕の人は「そんなのはありませんよ」と答える。確かに、飲み物リストには入っていないのです。でも、住民同士のお友達でしょうし、いつも彼が来たときはそれを注文しているはず。

ちゃんと持ってきてくれました。パナシェはビールをレモネードを半々で割った飲み物です。これはアルコール飲料にならないのか、あるいは住民の人たちのために隠してストックしている飲み物だったのか...。フランスは大らかで良いです。




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外部リンク:
Wikipédia: Litre funéraire
Wikimedia Commons: CategoryLitre funéraire
Encyclopédie, ou Dictionnaire Raisonné des Sciences, des Arts et des Métiers: LITRE
鯨幕の意味
鯨幕とは (お葬式の豆知識)
喪服はなぜ黒いの?いつからそうなったの?

Office de tourisme d'Ecouen: Eglise Saint-Acceul
Wikipédia: Église Saint-Acceul d'Écouen
actu.fr: L’église Saint-Acceul d’Écouen
Wikipedia: Maison de Condé » コンデ公
Wikipédia: Henri-Jules de Bourbon-Condé » アンリ3世 (コンデ公)
Château d'Ecouen, XVIe siecle.



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カテゴリー: 建築物 | Comment (7) | Top
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2018/01/05
パリ市から北に20キロほどのエクアン市に、立派な城があります。

16世紀に建設されたルネサンス様式のエクアン城(Château d'Écouen)で、ここは国立ルネサンス美術館 (Musée national de la Renaissance)になっています。


Château d'Écouen

このミュージアムには行ったことがあるはずですが、かなり前のことだろうと思います。何が陳列されているのか全く覚えていませんでした。このたび行ったら、見る価値が多いので驚いてしまいました。


エクアンのルネサンス美術館

それほど見学客が多くはないらしくて、美術館の中は人がまばらでした。広間に自分だけしかいないという環境で見学できるのは最高です。



見事なタペストリーもたたくさんありました。


Le dîner du Général


豪華すぎる作業台

下は、4.4メートルの長さがある作業台。



精密な金銀などの細工ができるシステムがあるのだそうです。

作業台とはいえ、美しすぎる彫刻や彫金などが施されているのを眺めただけだったのですが、ルネサンス美術館のサイトでは、3D画像を使って、この作業台がどんなものかを見せていました:
☆ Le banc d'orfèvre


骸骨が時を刻む?

小さなものでも、目を引くものがありました。



これは懐中時計のコレクションのコーナーなのですが、骸骨の頭の形のがある。こんなのを取り出して時間を見るとき、自分も遅からず死ぬのだ、などと考えたのかな?...


2つしか歯がないフォーク

昨年に「フランスの食事の歴史」と題してシリーズ記事を書いていたとき、気になったものの1つに フォークがありました。
フォークを使って食べることが定着するには、百年以上もかかった 2017/04/07

現代のフォークは歯が4本あるのが普通の形ですが、初めに登場したフォークは歯が2本しかなかったそうなのです。

食べ物を突き刺すくらいにしか使えない2本歯のフォークは、見つけ出した画像でしか見ていなかったのですが、このルネサンス美術館には陳列されていたのでした。

カトラリーのコーナーです。




サラマンダー

もう1つ、気になってブログで書いたものに、フランソワ1世の紋章がありました:
フランソワ1世のサラマンダーは、どちらを見ている? 2017/04/27

これも、この美術館で見ることができました。




ドア・ノッカー

このルネサンス美術科には何でもある感じ。しかも、私が何となく気になっているものがコレクションされている。

こちらは、立派すぎるノッカー。



この輪になっている部分を動かしてドアをノックするというもの。ドアが頑丈な木でできていると、手でトントンというわけにはいきませんから、こういうので音を出すわけです。

現代のフランスでも使いますけど、こんなに立派なものはめったにないです。私がブルゴーニュで住んでいる家にも、玄関のドアの外に付いていました。

フランスのネットショップで売っているドア・ノッカー、いろいろ

美術館では、このノッカーのことを「marteau de porte」と書いてありました。普通に使う単語として直訳したら「ドア・ハンマー」。フランス語では「heurtoir」とも呼ぶそうです。

英語では「door knocker」と言うらしいですね。これだと聞いただけでドアをノックするものだと分かる呼び名。


キリスト教関係

もちろん、教会に関係するもののコレクションもありました。



この聖母子像は、この地方によく似たものとして3つある、といううちの1つ。

下は、キリストの貼り付けをした棒。こういう風に、枝を切り落としたようなスタイルがあって、それの名前を教えてもらったのですが、忘れてしまった...。




ともかく、このルネサンス美術館には興味を惹かれるものがたくさんありました。余りにもコレクションの量が多いので疲れた。また行ったときには、気が付かなかったものもたくさん発見するだろうな...。

この日も写真をたくさん撮ったのですが、ブログには載せきれません。最後にエクアン城と美術館のコレクションを見せている動画を入れておきます。


Musée de la Renaissance



Château d'Écouen


これだけ見るものがたくさんあるのに、入場料はたったの5ユーロ(700円足らず)というのも嬉しい。3フロアーあって広いので、今日は1階だけ見学するとかにしたら、じっくり展示物を見れて良いだろうと思いました。でも、いつまた来れるのか分からないので全て歩いてしまった。

こういう所が近所にあると、家に泊まりに来た友達を案内できるので便利でしょうね。でも、この辺りは、すぐ近くにあるパリ国際空港に出入りする飛行機の通り道らしい。飛行機の騒音がひっきりなしに聞こえるのでした。城の中に入っていれば、ほとんどいえるほど聞こえてはこなかったのですけれど。でも、騒音がある地域には住んでみたくはないですね...。

それと、かなり大きな町なのに、エクアンにはまともなレストランがないのも欠点。パリが近いので、住民の人たちは町の中で食事しないのだろうか?

この美術館に行くために出かけたとき、とんでもないレストランで昼食をしてしまったことを書いたのですが、その続きを入れるのが遅くなってしまいました:
フランスのファミレス(?)を初体験 2017/10/30




ブログ内リンク:
★ 目次: 城について書いた記事ピックアップ

外部リンク:
☆ Wikipédia: Écouen
☆ オフィシャルサイト: Musée national de la Renaissance
ルネサンス美術館―エクアン城
☆ Wikipédia: Château d'Écouen
Visite à Ecouen – Cuisine et alimentation à la Renaissance
☆ Wikipédia: Heurtoir (porte)  » Door knocker



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