2012/01/15
シリーズ記事 【イタリア経由 クロアチアへの旅】 目次へ
その37
コート・ダジュール (1-2) サン・ジャン・カップ・フェラ
私がフランス語を勉強していた時代は、今のようにインターネットでいくらでもフランス語を耳にするようなことはできませんでした。それで、興味がなくてもフランス映画なら見に行ったり、家ではシャンソンを片っ端から聞くようにしていました。
通っていた東京日仏学院の図書室では、レコードやテープを貸してくれました。聞いていたシャンソンの中で、好きな歌手の一人にジャン・フェラがいました。
前回の日記からサン・ジャン・カップ・フェラ(Saint-Jean-Cap-Ferrat)という町に行ったことを書いているのですが、そこに泊まってみようと思ったのは、ジャン・フェラ(Jean Ferrat)の名前に似ていたからでもありました。
◆ ジャン・フェラという名のシャンソン歌手
でも、この町の名と歌手のジャン・フェラは無縁ではなかったようです。
本当なのかどうかは確かめていませんが、フランス地図にあったサン・ジャン・カップ・フェラという名を見た彼は、芸名をジャン・フェラにしたとのこと。本名はJean Tenenbaumでした。
フェラ(Ferrat)という音は響きが良い、と私は感じます。フランス語独特の発音をする「R」が入っている名前が好きなのです。
フランス人にジャン・フェラが好きだと言ったら、「あなた、コミュニストなの?」と茶化されたので驚いたことがありました。ジャン・フェラは共産党支持者として知られている歌手なのだそう。
でも、シャンソンを聞いていた当時の私は、そんなことを歌からくみ取ることはできませんでした!
歌の中で知っている単語を聞き分けていた程度。「アラゴン」という単語は、ギリシャ神話かなにかに出てくる人物かと思っていたのです。それがジャン・フェラと親交が深かった詩人ルイ・アラゴン(Louis Aragon)のことだと、私を茶化した人から教えてもらって初めて知ったのでした。
歌詞の深い意味までは分からないで聞いていたのではありますが、ジャン・フェラの歌には何か訴えかけるものがありました。それで私は彼の歌が好きだったのだろうと思います。
La femme est l'avenir de l'homme
ジャン・フェラは1930年生まれ。11歳のとき、ユダヤ人だった父親はナチスに捉えられ、アウシュビッツに送られていました。
歌手として成功した彼はショービジネスに嫌気がさして、早々に引退してしまいました。それでも彼のフランスでの人気は根強かったらしく、2010年に亡くなったときには大きなニュースになっていました。コミュニストだったというのとは全く関係のない人気だっただろうと思います。
歌手生活は長くはなかったとしても、ジャン・フェラは200曲を残したそうです。
☆ ジャン・フェラのアルバムを検索
Jean Ferrat - Ma France
ところで、サン・ジャン・カップ・フェラ(Saint-Jean-Cap-Ferrat)という名前。「サン・ジャン」は聖ヨハネ。「カップ」は岬。「フェラ」の語源はラテン語にあって、ferrus(野生の)あるいはferratus(草の生い茂った)なのだそうです。
今では風光明媚なことと温暖な気候があるために、お金持ちが家を構えていることで知られているサン・ジャン・カップ・フェラなのですが、昔は何もない岬だったのでしょうね...。
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★ ジャン・フェラのシャンソン「ふるさとの山」に見る日仏文化の違い 2014/08/10
★ 目次: 旅行したときに書いたシリーズ日記のピックアップ
情報リンク:
☆ Jean Ferrat
☆ INA(フランス国立視聴覚研究所)サイトでJean Ferratのビデオを検索
☆ Site Jean Ferrat
☆ ルイ・アラゴン
☆ Saint-Jean-Cap-Ferrat
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